「楽聖」ベートーヴェンの壮絶な生涯

「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」。おそらくこの名を知らない人はいないでしょう。
モーツァルト・ハイドンと並ぶ古典派3大巨頭であり、全ての作曲家の中で最も有名な存在といっても良いかも知れません。
そんな彼はどんな生涯を送ってきた人物なのでしょうか?
今回は「運命」「第九」「月光」といった名曲を生み出してきた奇才ベートーヴェンの生涯について掘り下げていきます。

クラシック音楽家 ベートーヴェン

過酷な幼少期を過ごしたベートーヴェン

幼少期から天才として優れた才能を発揮したモーツァルトや貴族御用達の作曲家として成功を収めたハイドンとは異なり、ベートーヴェンは云わば血の滲む努力でのし上ってきた人物です。

 

ベートーヴェンはドイツのボンという小さな街の「ケルン選帝侯宮廷の歌手」の一家に生まれました。一見裕福な音楽系の家庭にも思えますが、実態は祖父の援助によってなりたっていた家庭であり、その祖父が亡くなると一気に貧困に陥りました。

家計崩壊後、酒におぼれ始めた父はベートーヴェンの才能を当てにし、一攫千金を狙える作曲家に仕立てるための音楽教育を施します。
ただ、その教育はまさに音楽ではなく、音が苦。ベートーヴェンは一時期音楽が大嫌いになるほど追い詰められた環境の中で能力を磨くこととなります。

 

彼の苦悩はまだまだ続きます。
16歳の時に慕っていた母マリアが死去、更に父がアルコール依存症となったことで、貧困は更に深まってしまいました。
その結果、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェという作曲家のもとで勉強を続けつつも、家族のために複数の仕事をかけ持つ日々がしばらく続くことになります。

【初期】本格的に作曲家としての道を歩み始めた20代

21歳の頃。父が亡くなり、さらに世話をしていた2人の弟も成長します。家族のために身を粉にして働く日々は終わり、遂にベートーヴェンは作曲活動に専念できるようになりました。
また同時期には当時の音楽会において高い名声を得ていたハイドンに才能を認められ、彼に弟子入りするためにドイツからウィーンに移住を果たします。

オーストリア ウィーン

この時代のベートーヴェンは「初期のベートーヴェン」と呼ばれ、ハイドンやモーツァルトの影響を受けた比較的明るく穏やかな曲を多数書きあげました。
特にピアノの名手としても評価が高かった彼のピアノ曲の出来は素晴らしく、月光や悲愴といった現代でも愛され続ける曲もこの時期に作られています。

難聴との闘いの日々

しかし、ベートーヴェンに再び過酷な運命が圧し掛かります。
それは難聴です。

難聴になった原因は諸説ありますが、20代中盤頃から難聴に悩みはじめ、28歳の頃には殆ど耳が聞こえなくなってしまいます。
耳の障害は音楽家にとっては致命的であり、ベートーヴェンは深い絶望に苛まれました。
その絶望はあまりにも深く、31歳の時に『ハイリゲンシュタットの遺書』を残し自殺一歩手前まで精神的に追い詰められます。
ただ、ベートーヴェンは得意としていたピアノをあきらめ、「作曲」だけに全てを注ぎ込むスタイルをとることで少しづつですが復活を果たします。

そして、この時期から作り上げられるのが、ベートーヴェンの真骨頂「交響曲」。
様々な感情を五線譜に込め、彼にしか作り上げられない曲を次々と書き上げていったのです。

【中期】不屈の精神で交響曲の歴史を変えた

難聴となったベートーヴェンは音を感覚的に扱うことが出来なくなったため、過去に作られた歴代の交響曲を分析し緻密に音楽を作りあげる「徹底的な理論武装スタイル」をとりました。
そして、この理論武装から生まれた音楽の数々はこれまでの作曲技法の歴史を変えるものとなります。

ベートーヴェン ピアノ

古典的な形式の発展と構造の再構築をはかり、古典派音楽の完成形といえる仕上がりにまで作り込まれた交響曲の数々はまさにオーケストレーションの教科書。
33歳の時に作曲した交響曲3番を皮切りに、生み出された交響曲(3番〜6番)は音楽の理想形として崇められることになります。

また、難聴になってからの約10年間はベートーヴェンの中期と称され、彼の大半の曲がこの時期に作曲されます。ジャジャジャジャーンという特徴的なフレーズが有名な運命(5番)もこの時期の作品です。
曲調が耳が聞こえていた時の明るく穏やかな曲調から重厚感がある曲調に変わっていることも、彼の心境と状況を物語っています。

【後期】満身創痍の晩年

晩年の15年はベートーヴェンの後期に当たり、この時期にはベートーヴェンが神格化されるキッカケとなった数々の名曲が作り上げられます。ベートーヴェン最後の交響曲にして大作である「交響曲第9番」が作曲されたのもこの時期です。

一見順風満帆に創作活動を行ったように思えますが、実はこの時期においてもベートーベンは深い問題を抱えながらの活動となりました。

問題の一つは自身のスランプ。1818年ごろからベートーヴェンは思うように作品を書けなくなり、数年間試行錯誤の時期が続きます。最終的にはバッハが用いた対位法技術を作品に取り入れることで、スランプを脱出しました。

もう一つの問題はプライベートでの家庭内不和。弟(ベートーヴェンは3兄弟の長男)と甥であるカールとの関係に問題を抱え、一時活動の停滞を余儀なくされました。

これらの問題に加え、健康状態も悪化にも苦しみます。

40歳の頃にはついに耳が全く聞こえなくなり、更には神経性の腹痛や下痢も発症。1826年12月には追い打ちをかけるように肺炎を患い、やがて満足に動くことすら難しくなります。

最終的には手の施しようがないほどに病を悪化させ、1827年3月26日に56年の生涯を終えました。

ベートーヴェンは晩年に輝かしい名作を残しましたが、最後の最後まで苦悩し続ける過酷な運命を生きた人物であったといえます。

ベートーヴェンの名曲

ベートーヴェンといえば交響曲ですが、ピアノ協奏曲や弦楽四重奏、ピアノソナタにも数々の名曲が存在します。

エリーゼのために


ピアノ学習者の登竜門ともいえるエリーゼのために。短いピアノ小品ですが、老若男女問わず幅広い世代から支持を受け続けています。

ちなみにエリーゼではなくテリーゼという女性に向けて書かれた曲といわれており、適当な字でタイトルを書いたせいで間違って伝わったといわれています。

ピアノソナタ月光 第1楽章


第一楽章の重々しくありながらも繊細な旋律はあまりにも有名です。ピアノ好きな方なら一度は弾いたことがあるのではないでしょうか?

この作品はベートーヴェンが30歳の時に当時恋人であった伯爵令嬢ジュリエッタに捧げるために作曲されたと言われています。

ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 作品13「悲愴」


CMやドラマ、さらにはアニメ・ゲームに至る様々なメディアに使われてきた悲愴第2楽章。クラシックピアノ曲において常に人気上位を獲得しているこの曲は、悲愴というタイトルにそぐわない優しい印象を与えます。

交響曲第3番 英雄


通称エロイカとも呼ばれる交響曲の歴史に新たな1ページを刻んだ名作。難聴となったベートーヴェンが苦しみの果てにたどり着いた斬新な音使いが魅力的です。

交響曲第5番 運命


ベートーヴェンの最高傑作の一つ「運命」。クラシック音楽としては五本の指にはいるほどの知名度でしょう。ドヴォルザーク『新世界より』、シューベルト『未完成』と並び3大交響曲の1つとしても数えられます。

交響曲第9番 合唱付

『第九』『歓喜の歌』『喜びの歌』とも称されるベートーヴェンの最高傑作。オーケストラに合唱を加えた大規模編成による演奏はインパクトが強く、大晦日に全国的に演奏されることでも有名です。

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」


ベートーヴェンの協奏曲として最後に作られた作品で最高傑作。威風堂々とした勇ましい曲調はまさに皇帝の名に相応しいです。国内外のコンサートでも頻繁に演奏されている名曲中の名曲です。

まとめ

軽やかな曲調のモーツァルトに対し、ベートーヴェンの楽曲は重厚な曲が目立ちます。
この重厚な音色感は音の組み立ての細部にまで拘った結果であり、ある意味耳が聞こえなくなったからこそ生まれた境地ともいえるのではないでしょうか。
ちなみに日本ではベートーヴェンに「楽聖」という称号が与えれてています。
「楽聖」には極めてすぐれた音楽家を称える意味がありますが、もはや楽聖=ベートーヴェンといっても過言ではありません。
クラシック界最高の作曲家とも評価を受けているベートーヴェン。彼の功績は永久に色褪せることはないでしょう。

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