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絶対音楽と標題音楽について

絶対音楽 相対音楽

クラシック音楽史において度々現れる絶対音楽と標題音楽という言葉。

これらは主にロマン派の時代に議論が巻き起こった「音楽に対する考え方」ですが、それぞれどんな意味があるのでしょうか?

今回は絶対音楽と標題音楽について解説していきます。

どちら派?と言われたら私は標題音楽派だと答えますね。

絶対音楽と標題音楽

早速、絶対音楽と標題音楽の意味について説明します。

絶対音楽・・音楽そのものを表現しようとするような音楽。歌詞を持たず、物語や絵画、文学、といった他の芸術と結びつけない「音楽による音楽のための音楽」。

標題音楽・・情景や風景、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲のこと。音楽外の想念が強く反映されていることが特徴です。

つまり両音楽には、音楽だけで表現するのか、音楽以外のモノと結びつけるのかという違いがあります。分かりやすいところでいうと、ハイドンやモーツァルトらが活躍した古典派の楽曲は大半が絶対音楽です。

古典派の時代はソナタ形式や機能性和声が確立された時代であり、当時の音楽はまさに「音楽のために音楽」でした。それ故、文学や絵画といった音楽外の想念はあまり反映されていません。

それより昔のバロック時代の音楽も同様であり、ヴィオラ=ダ=ガンバやリュート、チェンバロなどで演奏される古楽器による演奏も絶対音楽の傾向が強いといえます。

チェンバロ 古楽器

2つの概念は器楽曲が対象

絶対音楽と標題音楽の違いを語る上で重要なのが、両音楽の違いは器楽にのみに対する言葉だということです。歌曲は歌詞を持っている時点で文学的ですし、オペラに関してはそもそも物語があるので、分類する必要がありません。

あくまでも歌詞を持たない器楽曲に「音楽外の想念」があるのかどうかが重要なわけです。

ただ、ドビュッシーの「海」が絶対音楽扱いされたり、ベートーヴェンの田園が絶対音楽か標題音楽であるか議論されるなど、例え器楽曲であっても両音楽の区別は曖昧です。

作曲家が標題音楽として作曲した曲であれば標題音楽ですし、絶対音楽として作曲したのであれば絶対音楽になると言えます。

例えばスメタナの「わが祖国」モルダウは明らかに本人が情景や風景を意識した標題音楽ですが、ベートーベンのピアノソナタ月光は後から別の人間が勝手にタイトルをつけただけなので、絶対音楽です。

現代人は標題音楽が好き?

標題音楽が急速に発展したのは19世紀初期のこと。ベルリオーズの作品『イタリアのハロルド』『幻想交響曲』といった作品から開花しました。

標題音楽はロマン派音楽の特徴ともいえる音楽ですが、その特徴は何といっても誰にでも聴きやすいことにあります。

現代社会において私たちが聴いている音楽は大半が音楽に他の想念が加えられたものです。

ロックであれ、ポップスであれ、歌詞のある音楽はその時点で文学的な想念がありますし、映画音楽やアニメ音楽、ゲーム音楽といったサウンドトラックに関しても「作品そのもの」の想念があります。

つまり、現代社会における音楽は標題音楽が大半を占めていて、絶対音楽は珍しい存在なわけです。

無理やりクラシック用語を現代に当てはめるとですが。

一見絶対音楽にも思えるヒーリングミュージックや環境音楽も、風景や雰囲気を描写した器楽曲といえるので、これらをどちらかに当てはめるとすれば、標題音楽となります。

結局のところ現代に生きる私たちは、無意識のうちに音楽と他の芸術や想念を結びつけるクセがついているので、クラシック音楽を聴いても、標題音楽の方を好きになる傾向が強いです。

現にクラシックファンではない一般人に馴染みのある曲は「四季」「月光」「月の光」「悲愴」「雨だれ」「革命」「運命」「水の戯れ」など、標題がついています。

逆に音楽のためにある音楽として作られた絶対音楽は、他の想念と結びつけるのを良しとしないため、「交響曲第○○番」といったタイトルになるわけです。

しかしながら、標題のない音楽は大半の人にとってはとっつきにくいモノに感じてしまうと思います。

日本でクラシック音楽に興味が持つ人が少ないのは、そもそも絶対音楽に馴染みがないからなのかもしれません。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番っていいよね?といわれてもクラシックファンでない限りは「??」となってしまいますよね・・

例えばこんな曲が標題音楽

クラシックに興味のない人でも知っている有名曲は標題音楽が多いです。

例えばヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲『四季』。

この曲は絶対音楽が基本であったバロック時代において、風景と音楽を結び付けた珍しい例です。貴族的なTHEクラシックという音楽でありながらも、風景を連想できるせいか非常に聴きやすいです。

また、ロマン派においてはムソルグスキーのピアノ曲『展覧会の絵』、サン=サーンス『動物の謝肉祭』、ベルリオーズ『幻想交響曲』、シューマン『子供の情景』などが該当し、マイナーな作曲家を合わせると実に多くの標題音楽が存在します。

ちなみに、ショパン「雨だれ」に関しては標題音楽っぽくはありますが、本人は標題を付けたがらなかったので、絶対音楽です。「子犬のワルツ」とか標題音楽だろ!と思いますが、本人的には違うようです。。

標題が付いているからといって標題音楽であるかは定かでないため、分類に拘ることは不毛かもしれません。

ロマン派における絶対音楽派と標題音楽派

正直、どちらの音楽であるか?について考えることにはあまり意味がないと思います。本人がどのように意図したのかは、本人とその時代に生きた人間にしかわかりませんので。

ただ、ロマン派の作曲家が基本的にどちらの考え方に寄っていたのかは記録が残っているので、この記事の締めくくりとして紹介します。

一応、参考にしてみてください。

『絶対音楽』

ブラームス、ショパン、ブルックナー(派閥はワーグナー派)など

『標題音楽』

ワーグナー、リスト、リヒャルト・シュトラウス、ベルリオーズなど

最後に

絶対音楽と標題音楽。ロマン派の時代において度々衝突を巻き起こした音楽に対する考え方ですが、今となってはさほど重要ではありません。

ただ、作曲家がどちらのつもりで書いたのかを知っておけば、演奏の解釈の参考にはなると思います。

根っからのクラシックファンは絶対音楽を好む人が多いようですが、私は標題音楽の方が好きです。交響曲○○番○○楽章といわれてもピンときませんし、興味を持ちづらいので。。

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