音楽史において重要なウェイトを占める古典派の時代。
バッハやヘンデルが生きたバロック時代の次に訪れた時代であり、合理性を重視する時代背景から様々な「形式」が確立されました。
そこで今回は古典派時代の音楽とその特徴について解説します。
ハイドン・モーツァルト・べートーヴェン。
彼らが生きた時代はどのような時代だったのでしょうか?
古典派時代の特徴
音楽史における古典派時代は1750~1820年頃までを指し、バロック時代とロマン派をつなぐ変革期として知られます。
最大の特徴はこれまで貴族や教会のモノであった音楽が一般民衆に広がりを見せたこと。
フランス革命やイギリスの産業革命といった欧州情勢の劇的な変化により、音楽家という職業も大きな変化を迎えます。
ルネサンス期やバロック期においては教会の為、または貴族の為に宮廷に雇われて音楽を作るのが音楽家の仕事でした。
正装としてカツラをかぶり、貴族に依頼された曲を作る。
音楽の父と呼ばれたバッハもそうして生きてきました。
しかし、貴族の力が弱まり市民の力が強まるにつれ、音楽は教会の為ではなく、民衆の娯楽の為、芸術の為の音楽に変化していきます。
それに伴いクライアントの為に曲を書くいわばサラリーマン音楽家は終焉の時を迎え、各々の表現が重視される「アーティスト」に変化せざるを得なくなりました。
古典派音楽の特徴
時代に大きな変化が起こったことも重要ですが、古典派時代においては「音楽」そのものにも大きな変化が生まれています。
最も顕著な変化としては、音楽が形式重視になったこと。
音楽に興味がある人なら一度は聞いたことがある「ソナタ形式」「ロンド形式」といった形式は古典派の時代に生まれました。
形式が重視された背景
18世紀のヨーロッパでは中世的な思想のしがらみから理性によって解放されようと考える啓蒙主義が広まりを見せていました。
啓蒙主義=旧弊打破の革新的な思想
啓蒙主義について詳しく踏み込むと小難しい学問となるので割愛しますが、ひとまず宗教的権威や王侯貴族に抵抗して古い体制から脱却を図る流れがあったと覚えておきましょう。
ここで重要となるのが啓蒙主義には「合理的」「理性」を尊重する考えがあったこと。
いわゆる「理論」を作り上げるが重視されており、音楽に理知的表現を含ませるのが良しとされました。
機能性和声が作り上げられたことにより、旋律が重なりあう対位法音楽から和声音楽に。
ソナタ形式が作られたことにより、ピアノソナタ・交響曲が音楽の主流に。
古典派時代の音楽を堅苦しい音楽と感じるクラシックファンは割と多いですが、それは啓蒙主義が広まりをみせた時代背景によるものだったりするわけです。
ソナタ形式について
ソナタ形式は序奏・提示部・展開部・再現部・結尾部からなる音楽で、二つの主題が提示部・再現部に現れることを特徴とする音楽です。
メインフレーズに当たる主題を弾いたら「推移」と呼ばれる音の羅列を弾き、属調に転調する。その後、展開部へ向かい・・
といった具合にガッチガッチに理論武装した音楽です。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、モーツァルトのピアノソナタも蓋を開けると、ソナタ形式に沿った構成で作曲されています。
機能性和声に基づく曲作りが行われているため禁則次項が多く、まさに全てにおいて合理的な音楽が展開されました。
強い形式感があるため現代においては「賛否両論」の強い音楽形式ではありますが、理論的に研究された音の響き、音楽の流れは非常に美しく、ソナタ形式があったからこそクラシック音楽が更なる発展を遂げたことは紛れもない事実だといえます。
ロンド形式について
ロンド形式は「ロンド主題」と呼ばれる主題部分(旋律)が、エピソードと呼ばれる異なる旋律を挟みながら、何度も繰り返して演奏される形式のことです。
ソナタ形式の原型となった形式でもあり、古典派音楽の基礎となった形式ともいえます。
形式の進化
【ソナタ形式→ロンドソナタ形式→ソナタ形式】
超有名なベートーヴェンの名曲 ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」第2楽章やエリーゼの為にもロンド形式で作られており、古典派音楽の入門編として最適です。
ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章
ロンド形式もエピソードでは平行調や属調に転調するといったルールが定められており、学問として音楽を勉強しないと深く理解することが難しい音楽です。(主にロンドソナタ)
ただ、古典派音楽がどのようなモノかつかみやすい音楽なので、興味のある人は是非調べてみてください。
器楽の発展
古典派時代に入り、音楽性だけでなく「楽器」も目まぐるしい発達を遂げます。
既に様式が確立されていたヴァイオリン属はもちろんのこと、ホルンや木管楽器も、より実用的に進化し、それに伴い音楽は「声楽中心」から「器楽中心」に移行していくことになりました。
特に大きな変化を遂げたのはピアノです。
バロック時代における鍵盤楽曲はパイプオルガンやチェンバロ、クラヴィコードといった楽器が使用されていましたが、古典派の時代になると現在の型にかなり近いピアノ(フォルテピアノ)が作られるようになりました。
画像はイメージです
フォルテピアノには『ニーペダル』が備えられており、膝で操作するという制約はありますが、現在のダンパーペダルに準ずる機能を使用することが可能になりました。
また、音域が広がったことにより、表現の幅も劇的に増しています。
古典派の時代では数多くのピアノの名曲が生まれましたが、ピアノの進化なくして音楽の進化はなかったといえるでしょう。
古典派時代の3大作曲家
古典派時代において知名度の高い作曲家は、やはりハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの3人です。
マイナー作曲家を含めるとまだまだ魅力的な作曲家は無数に存在しますが、この3人の知名度はずば抜けています。
ハイドンについて
ハイドンは『交響曲の父』と呼ばれる古典派の重要作曲家です。
宮廷楽団の楽長としてキャリアを重ね、106曲にも及ぶ交響曲を作り上げました。また、「弦楽四重奏の父」とも呼ばれており、こちらも70曲近く作曲しています。
古典派音楽を確立した人物といっても過言ではなく、後輩であるモーツァルトやベートーヴェンに大きな影響を与えました。
貴族社会がまだ根強く残っている時期に全盛期を迎えたため、ハイドンが残した楽曲は貴族的な印象を与えるモノが多いです。
そのため、現代においてはやや地味なイメージが付いてしまっているのは否めません。
しかし、弦楽ジャンルの発展に多大なる功績を残したことは間違いなく、近年はハイドン再評価ブームが起こりつつあります。
モーツァルトについて
誰もが知る人気クラシック音楽家モーツァルト。
類まれな天才として生を受けたモーツァルトは幼少期から父と共に演奏旅行を繰り返し、欧州の各地にて大きな名声を受けました。
ピアノ曲・管弦楽曲・オペラと多岐に渡るジャンルにて成功を収めたオールラウンダーでもあり、その圧倒的な才能は現代においても語り継がれています。
ただ、彼の不幸は古典派時代における過渡期中の過渡期に生まれたことです。
モーツァルトは25歳の時に宮廷楽団を辞め、フリーの音楽家になりますが、当時の音楽界はまだ貴族中心の世界であったため、モーツァルトは徐々に貧困に陥り、35歳にしてこの世を去ります。
超浪費家であったことが死を招いた最大の原因であったといわれていますが、時代が少しズレていれば違った運命をたどった可能性はあります。
ちなみに彼は生前このような言葉を残しました。
オリジナルな曲を書こうなんて、これっぽっちも考えたことはない
この言葉はまさに貴族社会の音楽のありかたを表しており、彼の音楽が貴族(クライアント)のために曲を書いていたことが感じ取れます。
ベートーヴェンについて
クラシック音楽家として最も有名な人物「ベートーヴェン」。
ベートーヴェンは貴族中心社会が最後の栄華を極めていた時期にデビューを果たし、最初は貴族向けの音楽を作曲していました。
しかし、社会情勢の変化するにつれ、楽曲に自分の意思や思いを込めるようになり、やがて芸術家としての音楽活動を展開します。
キャリア前半は古典派、キャリア後半はロマン派。
音楽史においてはベートーベンが古典派とロマン派の切れ目となっています。
ハイドンやモーツァルトの影響を受けつつも、古典派の表現を打ち破り独自の音楽を築き上げたベートーヴェン。
古典派を完成させ、ロマン派への扉を開いた人物だからこそ、これほどまで高い評価を受けているわけです。
特に第九はまさに時代の集大成ともいえる作品であり、後の作曲家に大きな影響を与えました。
次世代において大きな変革をもたらすリスト、ワーグナーもベートーヴェンの音楽から強い影響を受けています。
まとめ
古典派の時代は貴族社会から市民中心の社会へと変化を遂げる過渡期の時代で、合理性を重視する時代背景から「形式」を重んじる音楽が生み出されました。
バロック音楽の時代も貴族趣味の強い音楽でしたが、古典派の時代はそれに加えて強い形式感が加わっています。
歴史を紐解けばいろいろな解釈がありますが、「社会の変革によって生まれた理論重視の音楽」と覚えておくと良いでしょう。