ロシア5人組ってなに?民族音楽を志した作曲家集団について

クラシック音楽史にはロシア5人組と呼ばれる作曲家集団が存在します。
メンバーは「ミリイ・バラキレフ」「モデスト・ムソルグスキー」「ツェーザリ・キュイ」「アレクサンドル・ボロディン」「ニコライ・リムスキー=コルサコフ」。作曲理論に精通していたバラキレフを中心に反西欧・反ナショナリズムを掲げ活躍しました。
今回はこのロシア5人組とは一体何者なのか掘り下げていきます。

ロシア5人組

俺たちの音楽を目指したロシア5人組

ロシア5人組が活躍した時代は19世紀後半のロシア。
1856年にリーダー格であったバラキレフと音楽評論家であり軍人でもあったキュイが出会ったことから5人組の歴史は始まりました。

バラキレフはロシアの若手音楽家から一目置かれる存在であり、ロシアの民族音楽を世界に広げたグリンカの弟子。師と同様に西欧の模倣ではない真の国民音楽の創造を目指していたバラキレフは愛国心の強いキュイと意気投合し、共にグループ活動を始めるようになります。
これがロシア5人組の発端となりました。

ロシア5人組 結成

その後1857年には展覧会の絵で有名なムソルグスキーが参加、4年後の1861年にはリムスキー=コルサコフが、そして5人組最後のメンバーボロディンが1862年に参加しました。

決して強い結束があるわけでもなく作風も全く異なる5人でしたが、解散を迎える1870年までに多岐に渡る名曲を残し、ロシア国内のみならず欧州音楽界に多大な影響を与えました。

5人だけじゃなかった民族音楽集団

「ロシア5人組」というフレーズが有名であるため、一見他のメンバーがいないように思えますが、実は他の作曲家や音楽評論家が在籍しており、5人だけの集まりではなかったことも覚えておくと良いと思います。

音楽家集団

当時のロシアは西欧音楽の全盛期であり、自国の民族音楽に興味を持つ者は多くはいませんでした。しかも西欧音楽に精通し、根強い人気を誇っていたチャイコフスキーが同時代にいるとなれば猶更です。

ですが、一部の若手作曲家の中には「あいつにはロシア人としての誇りはないのか。。自国ならではの音楽を大切にしろよ。。」と考える者もいて、その作曲家たちはバラキレフとキュイの元に次第に集まっていきます。

まさに「俺たちで新しい音楽を作ろうぜ!」のノリです。

その結果バラキレフとキュイの2人で始まった活動は少しづつ民族音楽サークルのような集団へと変貌を遂げ、大きな作曲家サークルとなりました。

このサークルはいわゆる「寺小屋」のようなものであり、明瞭なロシア的な芸術音楽の創造を目指し、互いに知識の交換や作品の発表を行ったといわれています。

最終的にムソルグスキー・リムスキー・ボロディンを含んだ5人の活躍が目立ったことから後の世でロシア5人組と呼ばれるようになりましたが、5人以外にもロシア音楽界に貢献した人物が多く存在していたことは忘れてはいけません。

ロシア5人組の音楽性と人物像

ロシア5人組の音楽性はその名の通りロシア風です。西欧の音楽理論にロシアの旋律を取り入れたチャイコフスキーとは異なり、彼らの音楽性はロシアならではの音楽性を重要視しています。
ただ、この5人は目的意識だけが一致しているだけであり、作風に統一性はありません。
行動を共にすることはあっても、基本的には各々の感性に沿った楽曲を世に残しました。

ミリィ・バラキレフ

バラキレフ

5人組の中心核であったバラキレフはロシア民謡の要素に基づた作品を残しました。ドイツ・ロマン派の音楽理論を上手く取り入れた管弦楽曲やピアノ曲を中心に作曲活動を展開した人物であったと記されています。

彼がいなければロシア5人組が結成されなかったわけであり、クラシック音楽史の括りでは非常に重要な人物であるといえます。

ただ、現代においてはバラキレフの音楽が単独演奏される機会は非常に少なく、音楽家としてはマイナーな存在と云わざるを得ません。

ツェーサリ・キュイ

ツェザーリ キュイ

軍事教育家としての名声を得ていたキュイは作曲家としても注目を集めた人物です。主に手掛けたジャンルは歌劇。オペラ作曲家として成功を夢見た彼はロシアの作曲様式を用いた歌曲を数多く手がけました。
ただ彼の音楽性はそこまでロシア的でもなく、公演で大きな評価を得ることもなかったことから、やはりマイナー作曲家の域をでません。
また、晩年は批評家としての活動が目立つようになり、主にチャイコフスキー批判に精を出しました。

モデスコ・ムソルグスキー

ムソルグスキー

どうみても酔っ払いにしか見えない肖像画のおかげでやたら人々の印象に残るムソルギスキー。(実際にアルコール中毒者であった)
彼はロシア5人組の中で最もロシア民謡の伝統に忠実な姿勢を取りました。
オペラ・合唱曲・管弦楽曲など多岐に渡るジャンルを手がけますが、現代においてはピアノ組曲「展覧会の絵」、歌曲『死の歌と踊り』などが有名です。
ロシア5人組の中では最もメジャーな作曲家といえるのではないでしょうか?

アレクサンドル・ボロディン

ボロディン

有機化学の研究家として多大な業績を残したボロディンは多忙な日々に追われながらも民族音楽を志し、「日曜作曲家」として管弦楽曲を中心に作品を書きあげました。

得意とした情熱的な音楽表現によって次世代の作曲家に影響を与えますが、あくまでもメインは化学の研究家であったことから世に残した曲は僅かです。

現代では単独演奏される機会が殆どないため、マイナー作曲家の括りになります。

ニコライ・リムスキー=コルサコフ

リムスキー

リムスキーはロシアの民謡・文学を題材とする「色彩感あふれる管弦楽曲」の数々を残した人物です。

彼は五人組に加入してから本格的に作曲の勉強を始めたレイトスターターですが、弛まぬ努力によってペテルブルク音楽院の教授になるまで上り詰め、理論派作曲家として「管弦楽法原理」といった著書を残しました。

尚、リムスキーは作曲家としての実績よりも音楽教師としても実績を残した人物であり、ストラヴィンスキーやプロコフィエフの師としても知られています。

バラキレフによって始まったロシア5人組ではありますが、後世に最も影響を与えたのは彼かもしれません。

※5人組がそれぞれの方向性へ向かってバラバラになった後はリムスキーが中心となり、若い作曲家の集団である「ベリャーエフ・サークル」を結成。ロシア音楽を次のステップへと進めました。

まとめ

ロシア5人組はロシア音楽界に独自の風を吹き込み、音楽界の発展に貢献した重要人物たちです。
ただ、各個が他の名立たる有名作曲家に匹敵する名曲を残したわけではないので、基本的にはマイナー作曲家の域を出ません。

クラシック音楽を髄まで聴き込みたいという方でなければ、チャイコフスキーと同じ時代にチャイコフスキーと違う方向性で音楽を発展させた人たちがいた程度にザックリと覚えておけば良いのではないでしょうか?

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