クラシック音楽はバロック音楽-古典派音楽-ロマン派音楽を通り、シェーンベルクが作り上げた十二音技法によって無調へと到達。一つの節目を迎えました。
しかし、その後20世紀に突入した世において、これまで大きく目立つ存在ではなかった「ロシアの作曲家」が大きく台頭します。
今回は20世紀で活躍した6人の近代ロシア作曲家についてのお話です。
20世紀に活躍した近代ロシア作曲家
20世紀に入るとジャズ・ロック・ポップス・実験音楽・電子音楽といったありとあらゆるジャンルの音楽が誕生し、「クラシック」という音楽は一つのジャンルに過ぎなくなりました。
そのため、20世紀のクラシック作曲家は大々的に取り扱われることが少なく、音楽に詳しい方でなければ「誰?」という感想を持つことも少なくありません。
しかし、この時代においても誰もが「聴いたことがある!」と口にする名曲も確か存在します。
特にロシアの作曲家においてその傾向が顕著であり、今回ご紹介する6人の作曲家は少しでも音楽に興味があるならば押さえておきたい人物です。
クラシック音楽ファンにとってはメジャーな存在ですが、知識の無い方にとっては新鮮な印象をもつ作曲家達ではないでしょうか?
押さえておきたい近代ロシア作曲家1.ラフマニノフ
■セルゲイ・ラフマニノフ
■1873年〜1943年 ロシア帝国
ラフマニノフは今回紹介する作曲家の中では間違いなく最も人気のある作曲家でしょう。
18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業したラフマニノフは若くしてその才能を開花させ、成功を挫折を経験しながら美しき名曲の数々を世に輩出した偉大なる作曲家です。
彼の音楽の特徴は何といっても甘美でロマンティックなメロディー。
ピアノの腕前はフランツリストに匹敵するほど素晴らしく、その技巧をいかんなく発揮した名曲『ピアノ協奏曲第2番』はピアノ学習者にとっての憧れの一曲として現代においても非常に高い評価を得ています。
ただ、当時は熱狂的なファンがいた一方で、この時代特有の前衛的な音楽から目を背けた保守派という評価も受けており、如何に20世紀の音楽界で評価を受けることが難しかったのかが伺えます。
代表曲 ピアノ協奏曲第2番
前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」
押さえておきたい近代ロシア作曲家2.スクリャービン
■アレクサンドル・スクリャービン
■1872〜1915 ロシア帝国
モスクワの小貴族の家庭に生まれたスクリャービンは幼いころからピアノを始め、モスクワ音楽院にて作曲・音楽理論・ピアノを学びます。
当初はピアノストとして将来を有望視されましたが、同期にラフマニノフがいたことや、右手を故障してしまったことから作曲家へとキャリアをシフトさせていきました。
また、右手の負傷から左手を主張した曲を書くことも多く、《左手のための2つの小品》といった名曲を残したことでも知られています。
キャリア後期の曲は前衛的な曲が多く、昨今においてコンサートで取り上げられることは非常に稀です。
代表曲 左手のための2つの小品
代表曲 2つの詩曲 作品32
押さえておきたい近代ロシア作曲家3.プロコフィエフ
■セルゲイ・プロコフィエフ
■1891〜1953 ロシア帝国
帝政期のロシアに生まれ、サンクトペテルブルク音楽院で作曲・ピアノを学んだプロコフィエフはロシア革命後にシベリアやアメリカに渡り、20年近い海外生活の後に社会主義国ソビエトへ帰国した苦労人です。
ピアニストとしての実力も折り紙つきであり、ピアノ曲を中心に多岐にわたるジャンルにおいて名曲を残しました。
プロコフィエフは「古典的な要素」「近代的な要素」「トッカータ、もしくは “モーター” の要素」「叙情的な部分」「グロテスク」という5つの項目を自らの曲の重要な要素と語り、快活なリズム感と斬新な管弦楽法によるこれまでにない独特な雰囲気を持つ楽曲を書き続けました。
代表曲 交響曲第5番
代表曲 ピアノ協奏曲第3番
押さえておきたい近代ロシア作曲家4.ストラヴィンスキー
■イーゴリ・ストランヴィンスキー
■1882年〜1971年 ロシア帝国
ストラヴィンスキーは20世紀を代表する作曲家の1人として知られる人物であり、作曲家・指揮者・ピアニストとして活躍しました。
初期に作曲された3つのバレエ音楽『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』は完成度が高く、クラシック音楽としては最後のメガヒットとなった曲ともいわれています。
彼の特徴は「原始主義時代」「新古典主義時代」「セリー音楽時代」と3つの時期によって別人のように作風が変わっていることにあり、アメリカに移り住んだキャリア終盤の「セリー音楽時代」においては無調の楽曲を多く残しました。
代表曲 バレエ音楽 火の鳥
代表曲 バレエ音楽 ペトルーシュカ
押さえておきたい近代ロシア作曲家5.ハチャトリアン
■アラム・ハチャトリアン
■1903年〜1978年 ロシア ソビエト連邦
ジョージアで生まれ(当時はロシア帝国支配下グルジア)、モスクワにて音楽を学んだハチャトリアンは作曲家・指揮者として20世紀半ばに活躍した人物です。
映画音楽・バレエ音楽・映像音楽といった多岐にわたるジャンルにて作品を残し、名声を得ました。
ハチャトリアンの音楽はロシア コーカサス地方の民族音楽からインスピレーションを得た独特な曲調のモノが多く、バレエ『ガヤネー(ガイーヌ)』にて使用された『剣の舞』は誰もが知る名曲です。
ちなみに日本において京都市交響楽団や読売日本交響楽団と共演したこともあります。
代表曲 剣の舞
代表曲 仮面舞踏会
押さえておきたい近代ロシア作曲家6.ショスタコーヴィチ
■ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
■1906年〜1975年 ロシア ソビエト連邦
ショスタコーヴィチはソビエト連邦時代の作曲家であり、20世紀における交響曲の大作曲家と評価されている人物です。
ソビエト連邦の社会情勢の影響から「暗く重い雰囲気」の作品が多く、好き嫌いがクッキリ別れる作曲家としても知られています。
キャリア前期は近代音楽の影響を受けた前衛的な曲を多く残し、交響曲1番〜8番までを作曲。
ただ、スターリンが独裁者として頭角を現してからは、社会主義を称賛する曲を書かざるを得なくなり、ロシア革命を主題とした政治色の強い曲を作曲し続けました。
スターリンが死んだ後は交響曲の作曲を再開し、その芸術性の高さから交響曲の大家と認知されています。
代表曲 交響曲第5番
代表曲 ワルツ第2番(セカンド・ワルツ)
最後に
20世紀のクラシック音楽界に強い影響を与えたロシアの作曲家たち。
この時代は無調・12音技法・セリー音楽といった前衛的なアプローチが評価される難しい時代でしたが、各々の信念に基づいた個性溢れる名曲達は人こそ選ぶものの、今尚高い評価を獲得しています。
また、教会や貴族の為に曲を書いたバロック・古典派時代のように、スターリン政権時のソビエトにおいては『社会主義リアリズム』に基づいた曲を作らざるを得なかったという側面があることも忘れてはいけません。
共産主義のイデオロギーを反映しているため、プロコフィエフやショスタコーヴィチの曲に古典的な技法を使った合唱曲が多かったのもそのせいです。
詳しく掘り下げるとキリがありませんが、いずれにせよこの時代の音楽は政治や思想が複雑に絡んだ一筋縄ではいかないモノであったことは間違いないでしょう。