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「新世界」を書き上げたドヴォルザークの生涯

クラシック作曲家 ドヴォルザーク

交響曲第9番「新世界より」があまりにも有名なアントニン・ドヴォルザーク。

ドヴォルザークは国民楽派の大作曲家として多大なる功績を残した大作曲家です。後期ロマン派の時代に活躍し、交響曲を中心に多岐に渡るジャンルで名曲を残しました。

今回はそんなドヴォルザークの生涯と作品について解説していきます。

クラシック音楽に興味がある方は、是非彼について知っておくと良いでしょう!

メロディーセンスに優れていたこともあり、現代においても人気が高い作曲家です。

ドヴォルザークの生涯

ドヴォルザークは死後評価された作曲家ではなく、生前から数々の名誉を獲得した成功者です。では早速どのような生涯を送ったのか覗いていきましょう。

実は貧しい家で育ったドヴォルザーク

ネラホゼヴェス

ドヴォルザークが生まれたのはチェコ・プラハの郊外にある「ネラホゼヴェス」という村。実家は肉屋と宿屋を営む貧しい家庭でしたが、アマチュア音楽家として活躍していた父や伯父の影響を受け、ヴァイオリンを始めます。

その後ドヴォルザークは9歳でアマチュア楽団のヴァイオリン奏者に抜擢されるほどの音楽的才能を発揮。村の音楽家として、人気を博しました。

しかしながら両親はドヴォルザークを音楽にするつもりは一切なく、小学校を卒業することなく肉屋の修業に行かされてしまいます。

※ドヴォルザークは裕福な作曲家と比較すると、貧しい幼少期を過ごした作曲家であったといえます。

ただ、ドヴォルザークの運命を変える出会いが修行先のズロニツェという街にはありました。

なんと街の職業専門学校の校長(リーマン)は指揮者兼作曲家でもある人物であり、ドヴォルザークの才能を見込んだ彼から、演奏から作曲に至るまで音楽の基礎を叩き込んでもらえたのです。

なんという幸運。この出会いがなかったらドヴォルザークは貧しい肉屋になっていたはず。。

その後、一時は金銭的に苦しくなった実家に呼び戻されそうにもなりますが、伯父とリーマンの説得により、それを回避。

さらには伯父の援助によりプラハのオルガン学校に進学を果たします。

貧しい家の生まれではありましたが、こうしてドヴォルザークは一流音楽家へのスタートラインに立つことが叶ったわけです。

地道に名声を得た20代

オルガン学校卒業後はヴィオラ奏者・音楽教師として活動を続け、それと同時に作曲活動にも本格的に始めます。

この時期のドヴォルザークは試行錯誤を繰り返しながらもオペラ『王様と炭焼き』、賛歌『白山の後継者たち』といった代表作を残し、私生活ではアンナ・チェルマーコヴァーという女性と結婚。公私ともに充実した日々を送ります。

オペラ音楽

尚、作曲家として名声を博し始めた後は、奏者を辞して作曲家に専念したようです。

当時のドヴォルザークはワーグナーの音楽を熱心に研究するワグネリアンでしたが、少しづつその影響は薄れていき、次第に交響曲が作曲活動のメインとなります。

ブラームスに見い出され飛躍を果たした30代

30歳を超え、作曲家として成熟を見せたドヴォルザークは交響曲第3番、第4番といった代表曲を次々と世に放ち名声を博します。

この頃からドヴォルザークはオーストリア政府から奨学金を受け取れるようになり、35歳の時には弦楽五重奏曲ト長調にて芸術家協会芸術家賞を獲得。その後は37歳の時に作曲した『モラヴィア二重唱曲集』がブラームスの目に止まり、以後交流を深めるようになりました。

ヨハネス ブラームス

ヨハネス・ブラームス

ブラームスに才能を見いだされたドヴォルザークは一気に一流作曲家の仲間入りを果たし、『スラヴ舞曲集』『弦楽四重奏曲第10番』『チェコ組曲』等の名作を発表。チャイコフスキーやグリークといった国民楽派が人気を博していた音楽界の影響もあり、この頃からドヴォルザークはチェコの国民楽派の作曲家として評価されるようになります。

関連記事:ロマン派時代の古典派作曲家 ブラームスの生涯

ドヴォルザーク、アメリカへ

国民楽派の人気作曲家となったドヴォルザークはオペラの公演・複数回にも及ぶイギリスでのコンサート・ベルリンでの指揮者デビューなど、多忙な音楽家生活を送る傍ら創作活動もより一層力を入れ、交響曲第5番、交響曲第8番といった作品を発表。

1889年にはオーストリア三等鉄王冠賞、1890年にはチェコ科学芸術アカデミーの会員に推挙、1890年秋にはプラハ音楽院教授就任を受諾し、遂に教授にまで上り詰めました。

ドヴォルザーク 音楽院教授

ドヴォルザークは親ブラームスであったことから、ワーグナーの影響が強いドイツでの人気は獲得できませんでしたが、祖国チェコやイギリスといった国々では圧倒的な人気を誇るようになり、まさに国民的スターと呼べる存在となります。

そんなドヴォルザークに転機が訪れたのは1891年春。彼が50歳の時でした。ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーから就任依頼が舞い込みます。

彼にに就任依頼が来た理由は、以下の通り。

ドヴォルザークが国民楽派スタイルにおけるカリスマ的存在だったから

祖国を離れて活動することにドヴォルザークは当初乗り気ではありませんでしたが、高額年棒と熱い説得に最後は折れ、アメリカに渡ります。

ドヴォルザーク アメリカ

当時のアメリカは、音楽新興国と呼べる国。音楽院自体もまだ体制が整っているとは言えない状況でした。

そんな状況下でドヴォルザークは1892年10月から講義を開始。

激務に追われながらも異国の地アメリカにて欧州及びチェコの風を吹き込みました。

アメリカで活動した期間は1891年〜1895年の約5年間程でしたが、ドヴォルザークがアメリカに残した功績は大きく、そしてアメリカから受けた影響も大きかったとされています。

そして、それを象徴とする作品こそが「交響曲第9番 新世界より」。

1893年に5月24日に完成した誰もが知るこの名曲はドヴォルザーク本人が「これまでの作品とは異なり、わずかにアメリカ風である」という言葉を残しているほど、アメリカの影響を受けた作品だといわれています。

ドヴォルザークの晩年

アメリカから帰国したドヴォルザークはボヘミアこそ自分のいる地だと思い定め、以降はこの地において落ち着いた環境下の元、作曲に精を出すようになります。

この時期に作曲された主な名曲は以下の通り。

1895年 弦楽四重奏曲第14番
1896年 交響詩『水の精』『真昼の魔女』
1899年 オペラ『悪魔とカーチャ』
1900年 オペラ『ルサルカ』

晩年に残した作品は標題音楽やオペラが中心。交響曲がどうしても目立つドヴォルザークですが、意外とオペラでも人気を博し、結果を残しています。

また、晩年のドヴォルザークは功績を認められ、数多くの名誉を受賞しました。

ウィーン楽友協会の名誉会員に推挙、ブラームスしか得ていなかった芸術科学名誉勲章の授与、オーストリア貴族院による終身議員任命。

まさに作曲家として、音楽家として、文句のつけようがない功績を残しました。

最後を迎えたのは62歳のこと。多忙による持病の悪化も相まって、脳出血によって意識を引き取ったとされています。

ドラマティックなエピソードはなくとも、堅実に努力を重ね、大作曲家となったドヴォルザーク。

クラシック音楽家としてはトップクラスに幸せな生涯を歩んだ人物といっても良いかもしれません。

性格も穏やかであり、「鳩の愛好家」として鳩の飼育を楽しんでいたとか

これだけはチェック!ドヴォルザークの代表曲

後期ロマン派にはブルックナーやマーラーといった交響曲の作曲家が多数存在します。ただ、ドヴォルザークほどメロディーセンスに優れた作曲家はいません。

この記事の締めくくりとしてドヴォルザークの代表曲を幾つか紹介しますので、よろしければ聴いてみてください。

ドヴォルザーク 交響曲第9番 新世界より


「新世界より」はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、シューベルトの交響曲「未完成」と並ぶ「3大交響曲」の一つ。

アメリカ滞在時に書かれた曲で、アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることにインスピレーションを受けて作曲されました。

新世界(アメリカ)から、故郷ボヘミアへ向けて作られた作品であることから新世界よりというタイトルが付けられたようです。

ちなみに第2楽章の主題となる旋律に基づいて編曲された家路という合唱曲/歌曲が存在し、こちらも世界的に親しまれています。

ドヴォルザーク チェロ協奏曲


「ドヴォコン」の愛称で親しまれているドヴォルザークの代表曲。アメリカ滞在時に訪れたナイアガラの滝に刺激を受け、作曲されたといわれています。

大自然を連想させる美しい旋律はクラシックファンから絶大な支持を受けており、特にチェロ好きが多い日本での人気は高いです。

ドヴォルザーク アメリカ


弦楽四重奏曲「アメリカ」はその名の通りアメリカで作曲されたドヴォルザークの室内楽曲において最高傑作と評価されている作品です。

この作品はわずか2週間という短い期間で作られたとされており、アメリカ滞在時のドヴォルザークが如何にインスピレーションに富んでいたかが分かります。

ドヴォルザーク 謝肉祭


第1部〜第3部で構成される謝肉祭は国民楽派の作曲家として活躍したドヴォルザークらしい、明るく活気にあふれた一曲です。特に3部は人気が高く、トロンボーンやチューバ、タンバリンやシンバルが賑やかに鳴り響きます。

ドヴォルザーク ユーモレスク


ドヴォルザークが残したピアノ曲において最も有名な作品。正式名称は8つのユーモレスクであり、全8曲が作り上げられました。
とりわけ変ト長調の第7曲は人気があり、誰もが一度は聴いたことがあると思います。
この記事ではヴァイオリンソロバージョンを紹介します。

ちなみにクライスラーによるヴァイオリン用の編曲でも有名です。

まとめ

後期ロマン派において時代を大きく動かしたのはワーグナーやドビュッシーかもしれません。
ただ、この時代の作曲家において現代でも幅広く親しまれているのはドヴォルザークといっても過言ではないです。

美しく、そして親しみやすいメロディー。

重厚なドイツ系交響曲とは一味違う魅力が彼の交響曲にはあります。

既にクラシックがお好きな方は勿論のこと、これからクラシックを勉強したい方にうってつけの作曲家なので、機会があれば是非じっくりと聴き込んでみてください。

2 COMMENTS

匿名

とても分かりやすいし、いっぱい書くことがあるので良かったですあとは生まれたところと一緒に何年から何年までとかを書くと良いと思いますよ

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高屋 千尋

コメントありがとうございます!
確かにそうかもしれません。是非参考にしますね。

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