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「愛の挨拶」を書き上げた作曲家 エルガーについて

エドワードエルガー クラシック作曲家

エドワード・エルガーは19世紀後半から20世紀にかけて活躍したイギリスの作曲家です。

音楽教師でありヴァイオリニストでもあった彼は室内楽曲を中心に美しい楽曲の数々を残しました。

代表曲は「威風堂々」「愛の挨拶」など。

今回はそんなエルガーがどんな人物であったのかに触れていきます。

ヴァイオリンを演奏する方なら是非知っておきたい人物です。

エルガーの生い立ち

エルガーはロウアー・ブロードヒースというイギリスの小さな街に生まれ、楽器商(ピアノ調律師/ヴァイオリニストも兼ねる)であった父ウィリアムからピアノとヴァイオリンのレッスンを受けながら育った人物です。

10歳になるころには作曲を行うほどまでに才能を開花させており、その後もヴァイオリンのレッスンを受けながら、片っ端から音楽理論の本を読み漁って音楽の基礎を学びました。

クラシック音楽 勉強

その後エルガーはライプツィヒ音楽院への留学を目指し、勉強に励みましたが、エルガーの実家には留学をサポートする経済力がなく、敢え無くドイツ行きを断念。

結局地元で事務職として勤務することになりました。

捨てきれなかった音楽への想い

ただ、退屈な事務員としての生活にスグ嫌気が指してしまったエルガーは事務職を辞め、音楽家としての活動を展開します。

当初はソロヴァイオリニストを目指していましたが、同世代の一流奏者との差を痛感し、作曲家・指揮者に転向。

ポウィックという街にてウスター・アンド・カントリー精神科養護施設付属楽団の指揮者の職に就き、指揮者としての傍ら作曲家としての活動も精力的に行いました。

指揮者

その後エルガーは盲学校にてヴァイオリンの教授職につき、自らも管弦楽団に参加しヴァイオリンを演奏するといった音楽活動を展開。32歳の時には8歳年上のキャロライン・アリス・ロバーツと結婚しました。

このアリスに婚約の贈り物として捧げた曲こそ、ヴァイオリンとピアノのための小品『愛の挨拶』というわけです。

アリスは韻文作家としても活躍した人物で、エルガーの秘書兼マネージャーとして彼を支えたといいます。

また、エルガーはクラシック作曲家の中でも愛妻家として知られており、生涯に渡って妻アリスと仲睦まじく過ごしたという記録も残っています。

名声を博すエルガー

エルガーはアリスの勧めによって拠点をロンドンに移し、以後作曲活動に専念。

毎日のように2人でコンサートに出向いて一流のオーケストレーションを学び、ヴァイオリン作品やオルガン曲、室内楽曲を勉強し、実力を磨いていきました。

ロンドン

しかし、ロンドンではなかなか目が出ず、1891年に地元へ帰郷。

楽団の指揮や音楽教師をして生活費を稼ぐ生活に戻りました。

エルガーにとっては大きな挫折だったといわれています。

ただ、ロンドンでは名声を得ることが出来なかったエルガーですが、ミッドランズという街で行われた合唱祭に曲を提供したことをキッカケに徐々に人気が高まっていきます。

1892年には『弦楽セレナード』、1897年には『3つのバイエルン舞曲』を創り上げ、地元にて高い評価を獲得。

42歳の頃に作り上げた『エニグマ変奏曲』がロンドンにてドイツの指揮者ハンス・リヒターの指揮により初演され、一躍イギリスの人気作曲家の仲間入りを果たします。

世界的にも評価され始めたエルガー

『エニグマ変奏曲』によってエルガーの名は一気にヨーロッパ中に広がり、やがてウィーン、パリ、ニューヨークといった世界有数の年でもエルガーの曲が公演されるようになります。

そして、1901年には彼の代表曲である威風堂々1番が誕生。

この曲が絶大な人気を獲得し、イギリスの第2国歌と称されているほどの栄誉を得ます。

1904年3月にはロイヤル・オペラ・ハウスにおいて単独音楽祭が開催されるほどの人気を博すようになり、世界的な作曲家と呼べるほどの存在に上り詰めました。

英国オペラハウス エルガー

その後もエルガーの人気は留まることを知りません。

交響曲第1番はわずか1年の間にヨーロッパ各地での演奏回数が100回を超え、フリッツ・クライスラーからの委嘱によって作曲された『ヴァイオリン協奏曲』も絶大な人気を博しました。

その勢いのままに1912年には再びロンドンへ移住を果たし、作曲活動を再開。

革新的作曲家として、若手の見本となり続けました。

エルガーの晩年

威風堂々や交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲によって人気の絶頂を迎えたエルガーですが、その後第一次世界大戦が勃発した時期から大ヒット曲が作れなくなり、加えて自身が体調不良になったことから一時の勢いはなくなります。

さらに大戦が終わり1920年代に入ると、エルガーの音楽は最先端とはいえなくなり、公演される機会は激減しました。

衰退

その後、第一線から退いたエルガーはロンドンから郊外へ再び身を拠点を移し、静かな環境にて細々と作曲活動を続けます。

しかし、1920年4月7日。作曲家エルガーとしての人生に終止符を打つ決定的な出来事が起こりました。

それは妻アリスが肺がんでこの世を去ったことです。

常に行動を共にするほど仲が良かった妻を失ったことでエルガーの創作意欲は一気に消失。

以降大ヒット作を生み出すことはありませんでした。

長年連れ添ったパートナーがいなくなったダメージは計り知れません、、

老いて独り身となったエルガーは田舎でのドライブ、競馬、裏庭での科学実験といった趣味に力を入れるようになり、音楽活動では作曲よりも演奏やレコーディングを中心に活動したと記録が残されています。

とはいえ、一切作曲をしなかったわけではなく、劇音楽『達男ブランメル』組曲『子供部屋』といった作品を残しました。

ただ、これらの曲で高い評価を得ることはかなわず、最後の作品となった愛犬をモチーフにした小品『ミーナ』を作曲した後、1934年2月23日に大腸がんによって天寿を全うしました。

76年の生涯を閉じたエルガーは妻の隣に埋葬されたといいます。

エルガーの名曲

エルガーの作風はバロック時代に活躍したヘンデル、伝統を重んじたドヴォルザークやブラームスといった作曲家の影響を受けてますが、ワーグナー式半音階技法を取り入れるなど、非常にバランスの取れた聴きやすい作風です。

革新的でありながらも古風。エルガーの作品にはそんな雰囲気が感じ取れます。

エルガー 愛の挨拶


エルガーと言えば、やっぱり「愛の挨拶」でしょう。この曲は31歳のときに婚約者アリスの婚約記念に贈った曲といわれています。ピアノ独奏用、ピアノとヴァイオリン用、管弦楽用といった種類がありますが、ヴァイオリンでの演奏が最も有名です。

エルガーは愛妻家であったため、非常に曲に対するイメージが良いことも人気の秘訣だと思います。

エルガー 威風堂々


威風堂々はエルガーが作曲した6曲の内の第1番のことを指します。日本では第1番の中間部を威風堂々と呼びますが、イギリスではこの旋律は『希望と栄光の国』と呼ばれています。

威風堂々というタイトルは日本独自に無理やり訳したタイトルだったりもするわけです。

エルガー チェロ協奏曲


チェロ協奏曲は第一次世界大戦が集結した後に完成された晩年の作品です。妻アリスが亡くなる少し前に書かれた「最後の傑作」とも称されています。

初演は不評でしたが、徐々にその評価は見直され、現在はチェリストの重要なレパートリーとして愛されるようになりました。

エルガー 交響曲第1番


エルガーの人気を確固たるモノとした名曲。現代においてはあまり演奏される機会はありませんが、当時の音楽界においてはブラームスやベートーヴェンの交響曲に匹敵するとまで評価された曲です。

全4楽章からなり、演奏時間は約55分となっています。

エルガー 弦楽セレナード


妻アリスに、3回目の結婚記念日のプレゼントとして贈られた弦楽合奏曲。アレグロ・ピアチェヴォーレ、ラルゲット、アレグレットの3つの楽章からなり、約12分という演奏時間となっています。

クラシック初心者にとっても聴きやすく、エルガーが残した曲の中でも人気が高いです。

最後に

エルガーはイギリス屈指の作曲家として高い評価を得た人物です。

誰もが知る「愛の挨拶」の美しい旋律は愛妻家のエルガーだからこそ書き上げることができたのだと思います。

「愛の挨拶」「威風堂々」以外の曲も良い曲ばかりですので、機会があれば是非聴いてみてください!

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