オーケストレーションの天才 ラヴェルの生涯

フランスの作曲家であるラヴェルはドビュッシーと同じ印象派の作曲家として知られる人物です。音楽史においては印象派として分類されていますが、古典派作曲家の影響を強く受けており、「伝統と革新」を融合させた独自の世界観をもつ作品を世に残しています。

今回はフランス屈指の名作曲家ラヴェルの生涯についてのお話です。

クラシック音楽 ラヴェル 生涯

新時代の作曲家として名を馳せたラヴェル

ラヴェルはフランス南西部の街シブールにて生まれ、音楽好きの発明家であった父の影響を受け幼少期からピアノと作曲の勉強を始めます。

その後パリ音楽院に進学したラヴェルはフォーレ、ぺサールといった名立たる作曲家の元で14年にもわたり高度な音楽理論を身に着けました。

23歳(1898年)となったラヴェルはフランスの若手作曲家の登竜門「国民音楽協会」のコンクールに参加。年齢制限に引っ掛かる1905年までに計5回このコンクールに参加し、大賞である「ローマ賞」を狙います。

しかし、いずれも入賞することなく落選してしまいます。

※ドビュッシーはローマ賞を見事獲得している

ただ、当時のラヴェルは既に『亡き王女のためのパヴァーヌ』『水の戯れ』といった名曲を残しており、エントリーしている他の作曲家よりも劣っているわけではありませんでした。

-ラヴェル事件-

 

最後の挑戦となった1905年。ラヴェルは渾身の作品を提出しますが、本戦に進むことなく、予選落ちします。
ただ、この年の本選通過者6名全員が審査員シャルル・ルヌヴー(パリ音楽院教授)の門下生であり、他の門下生の作品がいかに優れていようとも落選していました。
いわゆる公平性に著しく欠ける不正です。

結果的に運営方法に疑問を抱いたフランス内の作曲家や教授が抗議が起こり、パリ音楽院のカリキュラム自体が改革されるという事態にまで発展します。

コンクールへの挑戦が不本意な形で終わってしまったラヴェルですが、バレエ及び管弦楽曲『ダフニスとクロエ』や管弦楽曲『スペイン狂詩曲』が人気を獲得し名声を博します。
コンクールで結果は残せませんでしたが、そもそもラヴェルの高い音楽性はもう既にフランス中から評価されていたわけです。

1909年にはひと悶着あった国民音楽協会と決別し、新時代の音楽を築くための独立音楽協会を設立。師であったフォーレや同門であったシュミット、ケックランもこの協会に参加し、以後精力的な活動を続けました。

前世で何をした、、。ラヴェルを襲う不幸の連鎖!

この年代の欧州において避けて通れないのが戦争の話題。
1914年に第一次世界大戦が勃発したことにより、ラヴェルは兵士として徴兵されることになってしまいます。

ラヴェルはトラック輸送兵として軍役に就きましたが、虚弱体質であったラヴェルにとっては心身共に大きな負担となったようです。

さらに悪いことは重なるもので、徴兵中には最愛の母が死去。ラヴェルは失意のどん底に落ちます。

以上の理由からこの時期のラヴェルはすこぶる絶不調となり、約5年間ほど思うような創作活動を行えませんでした。

そして、まだまだラヴェルの不幸は止まりません。

1928年に行ったアメリカ演奏旅行での大成功により一時は復活の兆しを見せますが、同時期に言語障害・記憶障害を発症。1932年にはパリで交通事故に合い、字すらまともに書けない程にまで体調を崩します。

結局アメリカ演奏旅行の後にラヴェルが世に残せたのは『ボレロ』を含む4曲だけであり、1933年にパリで行ったコンサートを最後に一線を退きました。

ラヴェルは間違いなく誰もが羨む能力の持ち主でしたが、「時代」と「運」に成功を阻まれ、作曲家としての活動は約40年で終わります。
作曲家として活動が困難になったラヴェルの晩年は病気との戦いとなり、闘病生活の末62歳でこの世を去ります。
また、ラヴェルは多くの持病を抱えたこともあり独身で生涯を終えました。

時計職人と称された緻密なオーケストレーション

作曲家ラヴェルの一番の武器は緻密なオーケストレーションです。

古典派を意識した理論的な音の配置と印象派ならではの浮遊感のある和音構成を大胆かつ繊細に使いこなし、自作曲のみならず、他者の作品のオーケストレーションにも携わりました。
特に「ムソルグスキー作曲:展覧会の絵」の管弦楽アレンジは本家を上回る人気を博しています。

死後80年が経過しようとしている現代においてもラヴェルの影響力は絶大であり、残したスコアの数々は作曲家たちの参考書として幅広く活用されています。
モーツァルト達が生きたコテコテの古典派音楽とは異なり、ラヴェルの曲はジャズやスぺイン音楽といった現代的な要素を多く含んでいるので、より参考にしやすいのでしょう。

ちなみにジブリの作曲に携わった久石譲さんもラヴェルを研究し、自身の曲作りに活用したといいます。確かによく聴くどことなくラヴェルの雰囲気が感じ取れるような気もしますね。

ラヴェルの名曲

ラヴェルが活躍した時代は既に20世紀に突入しているため、音使いは非常にかなり現代的なモノに近づいています。もしかしたら長年のクラシックファンより、あまりクラシックに興味を持ってこなかった人の方が聴きやすいかもしれません。

ボレロ


ラヴェルといえばボレロ。
ボレロは元々バレエ曲として作曲され、最初から最後まで同じリズムが繰り返される独特な構成が特徴です。
徐々に音が豊かになっていく様は誰が聴いても気持ちよく、最高潮に達した際の壮大感とフィナーレの「終わった!」感はクラシック曲屈指です。

亡き王女のためのパヴァーヌ


初期のラヴェルにおける代表作であり、高い人気を誇るまさに名曲です。
管弦楽曲アレンジ版が有名ですが、ピアノ学習者にとってはピアノソロの方がなじみ深いかも知れません。
ちなみにパヴァーヌとは16、7世紀に宮廷で流行った舞踏のことを指します。

水の戯れ


印象主義の幕開けを告げた作品として後世に語り継がれている名曲。噴水のような美しい水の動きがイメージされており、斬新かつ複雑な音使いに憧れを抱く人は少なくありません。
印象主義の曲として扱われていますが、古典派ソナタ形式が用いられていることが特徴です。

ピアノ協奏曲 ト長調


映画 のだめカンタービレにて、のだめが千秋と演奏したがっていた煌びやかな協奏曲。美しく、そして難しい曲です。
アメリカへの演奏旅行においてインスピレーションをえた「ジャズ」の要素が盛り込まれており、他の協奏曲とは一味も二味も異なった魅力を秘めています。

まとめ

印象派作曲家の巨匠として活躍したラヴェルは革新的であったドビュッシーと比較するとやや保守寄りの音楽性を持っていた人物です。

正確無比なオーケストレーションは現代においても作曲家の教科書として崇められており、その輝きは今尚色褪せることはありません。

普段あまり印象派の音楽を聴かない方もこれを機会にラヴェルの曲を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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