美食家?作曲家?変わり者ロッシーニの生涯

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ。イタリアに生まれ、主にオペラ分野において名声を博した彼は作曲家でありながらも、美食家としても知られています。
今回はクラシック界の作曲家としては変わり者として扱われるロッシーニについてのお話です。

クラシック作曲家 ロッシーニ

ロッシーニの生涯

ロッシーニはロマン派初期の作曲家です。イタリアオペラの作曲家として活動し、当時の音楽界において絶大な人気を誇りました。作風は肖像画のイメージ通りの「明るい作風」。親しみやすい喜劇の数々は大衆から絶大な支持を受けたとされています。

ただ、ロッシーニに関しては、他のクラシック作曲家のような詳細なデータが残っていません。
と、いうのもロッシーニは生きている間は大きな名声を受けましたが、すぐに忘れ去られてしまった人物だからです。
76歳まで生きなが作曲家としては44歳にして引退していること、音楽よりも食の道が優先であったこと。これらの理由がロッシーニが時代の流れに埋もれてしまった原因なのですが、恐らくロッシーニは死後の名声はにあまり関心を示さなかったのではないでしょうか。

豊かな才能を持ちつつも音楽に固執しなかった変わり者、それがロッシーニなのです。

イタリアとパリで活躍し続けた生涯

1792年。ロッシーニはイタリア マルケ州にあるペザーロに生まれ、8歳の時に美食の街として有名なボローニャへ移り住みました。

彼は見た目から裕福な家庭で育ったと思われがちですが、実は父は投獄中・母は生活苦の歌手という意外にも貧困家庭で育った人物です。
ただ、祖母に預けられたため、ロッシーニ自体は貧困な幼少期を送ったというわけではありません。寧ろイタリアの新鮮な食材に触れ、「天使のよう」と称されるほど早くも肥えて始めていたといわれています。

※肥え始めてはいたものの顔自体は美形であり、非常にモテる少年時代を過ごしたようです。ただ、性根が悪ガキであったため、他人に迷惑をよくかけていたといわれています。

その後ボローニャ音楽大学に進学したロッシーニは類まれな才能を開花させ、18歳にしてオペラ作曲家としてデビューします。(フィレンツェ:オペラ・ファルサ『結婚手形』にて)

デビュー後のロッシーニは『試金石』『タンクレーディ』『アルジェのイタリア女』といったヒット作を次々と作曲。

23歳の時にはナポリで『エリザベッタ』の公演を成功させたことをキッカケに、サン・カルロ劇場の音楽監督に就任します。

名声を確固たるものとしたのは24歳の時に書き上げた代表作『セビリアの理髪師』。この作品でロッシーニはイタリア国内のみならず、ヨーロッパ中にその名を刻むことに成功します。

オペラ音楽

数々の名曲を仕上げたロッシーニは30歳の時にパリのイタリア座の音楽監督に就任。その2年後にはフランス国王シャルル10世に記念オペラ・カンタータ『ランスへの旅』を献呈し、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得ます。

しかし、創作人生に固執していなかった彼は終身年金を得たことにより最後のオペラ『ウィリアム・テル』の公演を最後にオペラ作曲を引退。その後は兼ねてから本当に大好きであった美食の道へと満を持して進むことになったのです。

※一説にはトリュフを探す豚を飼育するために作曲家を引退したともいわれている。

44歳の頃には僅かながら続けていた作曲活動を完全に引退。その後は美食家としてボローニャやフィレンツェ、パリで活躍を収め、晩年には高級レストランを経営して名声を博しました。

最後を迎えたのは1868年11月13日(76歳)。太りすぎてしまったことから様々な病気を発症し、この世を去りました。

 

※イタリアのサンタ・クローチェ教会では彼の墓を見ることができるので、フィレンツェを訪れた際には是非立ち寄ってみてください。

フィレンツェ ロッシーニの墓

フランス料理で使われるロッシーニ風

ロッシーニ風という名前が付けられたフランス料理が存在しますが、実はこの料理はロッシーニが考案した料理として有名です。

ロッシーニ風 フランス料理

料理人によって若干解釈が異なりますが、基本的にはフォアグラやトリュフを使った料理がロッシーニ風と思ってください。ちなみに牛フィレ肉+トリュフ、鴨肉+フォアグラといった様々なバリエーションがあります。

また、ピアノ曲に料理の名前を付けるなど、至る所に「食」へのこだわりが見え隠れしています。

ロッシーニの名曲

ロッシーニは引退後に室内楽曲や歌曲・ピアノ曲といったジャンルも手がけましたが、やはりオペラこそが彼の真骨頂です。ちなみにロッシーニは手抜きの天才とも呼ばれ、自然に過去の作品を使いまわす技術にも長けていたとされています。
その心の余裕こそ、若くして36曲ものオペラを作り上げることが出来た要因なのかもしれません。

セビリャの理髪師


ロッシーニの出世作であり代表作でもある人気作品『セビリャの理髪師』。
現在でも頻繁に上演される作品ですが、この序曲に関しては単独演奏される機会も多く、オペラファン以外にも有名です。

ウィリアム・テルの序曲


ロッシーニのもう一つの代表曲。
「夜明け」「嵐」「静寂」「スイス軍隊の行進」の4つの曲が連続して演奏される独創的な管弦楽曲です。ロッシーニとしては珍しく使いまわしを使用せずにイチから作り上げました。

最後に演奏される「スイス軍隊の行進」は運動会の定番曲として有名です。

まとめ

クラシック音楽家として36曲のオペラを作曲し、引退後は美食家としても成功を収めたロッシーニ。

裕福な暮らしをした作曲家の筆頭はメンデルスゾーンですが、好き勝手に生きながらも成功を収め続けたロッシーニこそ「精神的にも経済的にも裕福だった作曲家」だったと言えるかもしれません。

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