リヒャルト・ワーグナーは「楽劇王」と呼ばれ、音楽界のみならずヨーロッパの政治や社会情勢にも強い影響を与えた人物です。
ロマン派音楽終焉の引き金を引いたのも彼であり、クラシック音楽の方向性を大きく変えた人物として知られています。
今回はクラシック音楽史を理解する上で知っておきたいロマン派音楽家ワーグナーの生涯について掘り下げていきましょう。
目次
若かりし時代のワーグナー
ワーグナーはザクセン王国(現ドイツ)ライプツィヒに生まれ、音楽好きの家庭にて育ちました。
幼少期から様々な楽器に親しんだワーグナーは10代の頃にはベートーヴェンに憧れ作曲を開始。交響曲で大作を作り上げることを目標に、音楽活動を行います。
ただ、次第にドイツオペラの巨匠であるウェーバーに憧れがシフトし、交響曲ではなくオペラ作曲家を志すようになりました。
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18歳の時には名門ライプツィヒ大学に入学しますが、すぐに中退。その後は聖トーマス教会の指導者であったテオドール・ヴァインリヒから作曲の手ほどきを受けながら実力を磨いていきます。
翌年には最初の歌劇『婚礼』を作曲。その才能の片鱗を見せ、若干20歳にしてドイツ ヴュルツブルクにて市立歌劇場の合唱指揮者に就任します。
しかし、ワーグナーは飽きやすいうえに性格にも難があったため、この仕事は長続きせず、すぐに職を辞してしまいました。
ヴュルツブルクで仕事を辞めた後は「劇場指揮者」としてマクデブルク・ドレスデン・ラトビア・パリといった都市を転々とし、指揮活動を行いながらオペラ曲を作るという日々を送ります。
ただ、この時期のワーグナーはなかなか日の目を浴びることなく、結果的に大きな名声を得ることなく20代を終えることとなりました。
またワーグナーは浪費癖がひどく、作曲家として成功を収めるどころか借金によって常に貧困に喘いでいたという記録が残っています。
私生活の荒れが彼の成功を妨げていたことは間違いないでしょう。
30代からの下克上
これまで特に注目されていなかったワーグナーですが、29歳の時に初演したオペラ『リエンツィ』が大成功を収めたことにより、徐々に知名度を上げていきます。
翌年にはドレスデン国立歌劇場管弦楽団の指揮者に就任。
1843年『さまよえるオランダ人』、1845年『タンホイザー』、1848年『ローエングリン』といった作品の公演を行い、成功を収めました。
また、1846年にはベートーヴェンの第9の復刻公演にも成功。過去の遺産を次の時代に紡ぎました。
ワーグナーの30代は不遇な20代とは打って変わって華やかな時代となり、見事に下克上を果たしたといってよいでしょう。
ワーグナー 指名手配される
作曲家として成功を収めたワーグナーですが、ドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加したことにより「指名手配」されてしまいます。
その他大勢として参加したのであれば、指名手配までされることはなかったかも知れません。しかし、ワーグナーはあろうことか革命軍の先頭に立ち、軍の指揮をとっていたのです。
ここまで、過激な行動を起こした上に結果的に弾圧されてしまったのですから、指名手配されたとしても何ら不思議ではありません。
結局ワーグナーはフランツリストの力を借り、スイスに脱出。慣れ親しんだドイツから約9年にも及ぶ亡命生活を送ることになります。
ただ、この行動力こそが彼のカリスマ性であり、音楽及び政治に影響を与えた大きな理由とも言えます。
ワーグナーの凄いところはこのような状態にも関わらず、作曲活動を停滞させるどころか益々加速させていったことにあります。
この時期にワーグナーが作り上げたオペラは以下の通り。
◆1856年『オペラ(勝利者たち)』
◆1857年『ヴェーゼンドンクの5つの歌曲』
◆1859年『トリスタンとイゾルデ』
◆1862年『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
意外にも彼の代表作の多くがこの時期に作曲されています。
また、同時期にはこれまでのオペラの価値観を一転させる「楽劇」の理論を見事に創り上げ、ドイツオペラの歴史を大きく塗り替えた功績も残しました。
しかしながら問題のある性格は相変わらずであり、人妻と不倫をしたり、ユダヤ人を強烈に批判する論文も残しています。
音楽家として後世に多大なる影響を与えつつも、本人の行動は褒められたモノではありませんでした。
晩年のワーグナー
1864年に追放令が取り消されたことにより、ワーグナーは晴れてドイツ国内へ再び足を踏み入れることができるようになりました。
この処置にはドイツ国内から賛否両論が起こりましたが、大きな功績を残した音楽界においては割とウェルカムな反応を受けたため、割とスムーズに作曲家として国内復帰を果たします。
1868年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の初演に成功。1874年にはワーグナーの代表作の一つである『ニーベルングの指環』を完成させました。
また、1872年からはバイロイトへ移住しており、1876年には自身の作品を上演するため劇場「バイロイト祝祭劇場」をルートヴィヒ2世の援助を受けながら建築しました。
1882年にはワーグナー最後の作品となった作品『パルジファル』を完成させますが、翌年の1883年2月13日にヴェネツィア旅行中に心臓発作でなくなります。
ワーグナーの濃密な69年にも及ぶ生涯はこれにて幕を閉じました。
ワーグナーが音楽界に与えた影響
ロマン派の幕開けを引いたのはベートーヴェンです。古典派の音楽を頂点まで高め、後の音楽家に多大なる影響を与えました。
逆にロマン派音楽を終焉に導いたのはワーグナーです。彼の作品はこれまでの常識を打ち破る画期的な技法を多岐に渡って取りいれ、ヨーロッパ中の作曲家に新たなる方向性を示しました。
ワーグナーは音楽界全体に影響を与えた人物ですが、最も彼の影響を受けたのはオペラ界です。
彼が現れるまでのオペラはヴェルディ・ロッシーニらが築きあげた「イタリアオペラ」こそが至高だと思われてきました。
しかし、その価値観をワーグナーは華麗に「ぶっ壊した」のです。
理論的な部分に触れると、彼はアリア・二重唱・合唱、それをつなぐレチタティーヴォから構成されるイタリアオペラの形式を真っ向否定し、「無限旋律」という技法を使いました。
分かりやすく言うと、イタリアオペラは野球のようなもので、1回表、裏のように間があります。しかし「無限旋律」をもちいたワーグナーのオペラはサッカーのようなもので間がありません。
ずっと音楽が終始止まらないわけです。
音楽をずっと無限に展開させていくためには終始感を与えてはいけません。そのため、主和音での終止をワーグナーは出来る限り避けました。
その結果「半音階」と「異名同音」を駆使するケースが増え、次第に「調性」が限りなく曖昧になってきます。
調性の崩壊自体は晩年のリストから既に始まっていましたが、ワーグナーの音使いは間違いなくその流れを加速させます。
ワーグナーの時代のすぐ後に、彼に影響を受けたシェーンベルグらが無調性音楽を完成させますが、その時代の到来を導いたのはワーグナーであったといえるでしょう。
楽劇の完成させた功績
ワーグナーは作曲にだけでなく、劇作・歌詞・大道具・歌劇場建築といった全てのセクションに携わりました。
それまでのオペラは主に分業制が採用されていましたが、ワーグナーはそれを良しとせず、全てを一つの総合芸術に昇華させます。
現代でいう秋元康のような存在。いわゆるプロデューサーとしての仕事も兼ねたわけです。
これこそにより歌劇は楽劇へと進化を果たすことになり、その後のオペラに多大なる影響を与えました。
ワグネリアンとヒトラー
ワーグナーが作り上げた新たなオペラはドイツ国内の留まらずヨーロッパ中に影響を及ぼし、次第にワーグナーの音楽に陶酔する人々「ワグネリアン」と呼ばれる存在が街に溢れるようになります。
ワグネリアンはワーグナーの熱狂的ファンという位置づけですが、その傾倒ぶりは「信仰」に近いものがありました。ノイシュヴァンシュタイン城を建設したルートヴィヒ2世やドイツを代表する哲学者であったフリードリヒ・ニーチェもワグネリアンであったことは有名ですが、最も世の中に影響を与えてしまったワグネリアンとして知られるのはアドルフ・ヒトラーです。
ヒトラーはワーグナーが反ユダヤ主義を掲げていたことを理由に、ナチスの政治思想(世論戦)にワーグナーの音楽を利用します。本人自体もワーグナーの熱烈なファンであったことは確かですが、、ナチスの党大会において毎回ワーグナーの音楽を使うなど、上手く政治に取り入れられたことは事実です。
結果的にワーグナーの音楽=ナチス/ヒトラーのイメージが強くなり、後の世でネガティブなイメージを受けてしまいます。
とはいえワーグナーは革命軍の先頭にまで人間ですので、割とイメージ通りなのかもしれませんが、、
ワーグナーの性格
ワーグナーは知り合いにいたら絶対に関わりたくない性格の持ち主です。
彼の性格を一言で表すと「天上天下唯我独尊」。最高に自己中で、いわゆるクズでした。
浪費癖があり、借金をしては踏み倒し、また借金。
自分に甘く、他人には攻撃的。
そして過剰なほどの自信家。
さらに拍車をかける「反ユダヤ主義」。
彼はクラシック音楽を次のステップへ誘った重要な人物ではありますが、「1人の人間」としては忌み嫌われており、イスラエルなど一部の国ではワーグナーの楽曲が演奏されることはありません。
日本においてもワーグナーのイメージはあまりよくなく、彼の音楽はどうしても好きになれないという方も多いです。おそらくナチスのイメージや彼自身の人格からその感情が湧いてくるのでしょう。
ただ、このような過激な性格であったからこそ、ワーグナーは異常なまでのカリスマ性を発揮したともいえます。仮に彼が穏やかでまともな性格であったら、これほどまで音楽界に影響を与えることはなかったでしょう。
ワーグナーの名曲
ワーグナーはオペラの作曲家であるため、代表作の大半はオペラです。
楽劇「ローエングリン」より 婚礼の合唱
楽劇「ローエングリン」より 第一幕への前奏曲 / エルザの大聖堂への入場 / 第三幕への前奏曲
ワーグナーの代表作であるローエングリンは名曲の宝庫としても知られています。婚礼の合唱以外にも「第一幕への前奏曲」「エルザの大聖堂への入場」 「第三幕への前奏曲」は単独でも演奏される機会が多いです。
オペラに行くほどの興味は持てないけど、オーケストラによる単独公演なら聴いてみたいという方にオススメです。
楽劇「ワルキューレ」より ワルキューレの騎行
テレビでよく流れるため、誰もが1度は耳にしたことがあると思います。聴くものを圧倒する壮大なエンディングはまさに騎行というイメージにピッタリです。
映画『地獄の黙示録』で流されたことから、ミリタリー好きから特に評価が高い一曲となっています。
まとめ
楽劇王ワーグナーは過激な性格からクラシック音楽家とは思えないエキセントリックな行動を起こし続けた人物です。
ただ、彼がクラシック音楽界に革新を与えたことは紛れもない事実であり、現在でも「音楽」に関してはかなり高い評価を獲得しています。(人間性は度外視)
好き嫌いがハッキリする作曲家だとは思いますが、一度彼の音楽を見て聴くこともアリなのではないでしょうか?
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