ウェーバーって知ってる?ドイツオペラを発展させた作曲家の生涯

「カール・マリア・フォン・ウェーバー」。
クラシック好きでなければこの名前を知る人はあまりいないでしょう。
今回は比較的マイナーな作曲家であるウェーバーがどのような人物で、どのような生涯を送ったのかを紹介します。

クラシック作曲家 ウェーバー

ウェーバーはドイツオペラの巨匠

ウェーバーがマイナーである理由。それは日本人にとってあまり馴染みのない「オペラ」系の作曲家であるからです。
日本のクラシックはピアノや交響曲、協奏曲といったジャンルが人気ですが、オペラに関しては余り興味がわかないという方も多いです。そのため、代表作がオペラに集中しているウェーバーは比較的マイナーな作曲家として扱われています。

オペラ音楽

彼が生きた時代はロマン派初期。
当時のドイツやオーストリアはオペラ=イタリアオペラというイメージが定着しており、ドイツオペラはジャンルとして根付いていませんでした。
しかしウェーバーは並々ならぬ努力と情熱により根付いたイメージを払拭し、ドイツオペラを1つのジャンルとして定着させることに成功します。

ウェーバーの生涯 前期

ウェーバーはドイツのオイティーンに生まれ、劇団の団長であった父の元、ドイツやオーストリアの全土を公演して回る幼少期を過ごします。
幼少期を演奏(公演)旅行で過ごした経歴はモーツァルトに似ていますが、劇団と一緒に過ごした経緯からウェーバーは「オペラ」に関する感性が磨かれていきました。

美声の持ち主であったウェーバーは9歳から本格的な音楽教育を受け始め、ヨハン・ホイシュケルやハイドンの弟であるミヒャエル・ハイドン、ゲオルク・フォーグラーといった有名作曲家からピアノの演奏や作曲について学びます。

1799年には自身初のオペラである『愛と酒の力』を作曲。オペラ作曲家としてステップアップを果たし、その後も才能を着々と開花させながらドイツ各地で作曲活動に勤しみます。

大失態を犯し、声を失う

優れた作曲能力とピアノ演奏能力を持っていたウェーバーですが、幼少期の時から「美声」も武器でした。しかし、この美声を大失態によって失ってしまいます。
その大失態とは、

硝酸をワインと間違えて飲んだこと

です。

何故間違えてしまったのかは定かではありませんが、この失態によってウェーバーは声がでなくなってしまいます。

この出来事により”歌手”として活動を続けられなくなったウェーバーは、作曲家/ピアニストとしての活動を本格化させていくこととなります。

ウェーバーの生涯 後期

20歳半ばを迎えた頃からウェーバーのキャリアは加速的に高まります。

1813年にはプラハ歌劇場の芸術監督に就任、更に1817年にはザクセンの宮廷楽長に任命されるなど、ウェーバーは音楽家として高い地位を得る人物となりました。
この時期のウェーバーはピアノ曲や歌曲、室内楽曲といった幅広いジャンルの曲を手がけますが、メインジャンルはやはり自身の核となるドイツオペラでした。

当時の音楽界はオペラといえばイタリアオペラという価値観が強く、ウェーバーのドイツオペラはなかなか評価されない時期が続きます。
しかし、ウェーバーはドイツオペラの普及を諦めませんでした。

彼は数々のドイツオペラを書き続けることで、同ジャンルの認知度と知名度を上げていき、そして並々ならぬ努力の結果「魔弾の射手」という最高傑作を生みだします。

彼の代表作となった「魔弾の射手」は1821年にベルリンで公演され、ドイツオペラの傑作として音楽界から絶大な支持を受けることに成功。遂にこれまでのオペラ=イタリアという価値観を見事に覆しました。

大きなミッションを成し遂げたウェーバーは1826年に結核にてこの世を去りますが、彼の功績は絶大であり、後続の作曲家に大きな影響を与えたと語り継がれています。

ウェーバーの名曲

ウェーバー=「魔弾の射手」というイメージですが、ピアノの名手でもあった彼はピアノ曲に関しても優れた名曲を残しています。

歌劇 魔弾の射手 序曲


ウェーバーの代表作「魔弾の射手」。オペラ作品であるため、あまり馴染みのない作品だと思います。ただ、この序曲と第3幕の「狩人の合唱」に関してはコンサート等で演奏されることが割とあり、「魔弾の射手」の内容は知らないけど、曲は知っているという方も多いです。

狩人の合唱


「狩人の合唱」は「魔弾の射手」の第3幕で歌われる男声合唱です。伴奏にホルンアンサンブルが採用されています。

舞踏への勧誘


ピアノの名手であったウェーバーが1819年に作り上げたピアノ曲の傑作。有名なのはベルリオーズが編曲した管弦楽バージョンですが、原曲はウェーバーが作り上げたピアノ曲です。

まとめ

ウェーバーは現代において決して目立つ作曲家ではありません。しかし、彼の功績はその後の作曲家に大きな影響を与えたといわれています。
特に同じドイツオペラの作曲家ワーグナーへ与えた影響は絶大であり、ウェーバーがいなければワーグナーはこれほどまでの大作曲家にはなり得なかったでしょう。

ドイツオペラの礎を築き、ワーグナーへの橋渡し役を担ったのがウェーバー。ざっくりいうとウェーバーはこのような人物です。

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