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Atelier Eren/アトリエ・エレン ヴァイオリン製作とファンタジーを綴る日記

【音楽】音楽の父 バッハの生涯

音楽の父バッハ

現代では音楽の父と呼ばれる「バッハ」。バロック音楽時代の重要な作曲家の一人でもあります。
バッハはピアノがない時代の作曲家であり、作られる曲は教会音楽・オルガン曲が多くを占めました。当時の音楽理論をまとめ上げた緻密性の高い音楽性は「西洋音楽」の基礎を作り上げたとして、現代では高い評価を得ています。

また、その功績から日本の音楽教育ではバッハを「音楽の父」と称しています。

バッハの生い立ち

バッハのフルネームは「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」主に17世紀のドイツで活躍した作曲家兼演奏家です。1685年にドイツ・アイゼナッハに音楽一家の8男として生まれたバッハは、町の楽師であった父に音楽の英才教育を受けながら育ちました。伯父も有名な音楽家であり、バッハは伯父からオルガンを習い、どんどん腕前を上げていきました。

両親が10歳の時に亡くなり、兄の元で音楽を学び続ける

バッハが9歳のとき母親が亡くなり、さらには父親が10歳の時に亡くなったことで、バッハは兄の元にひきとられます。そんな逆境の中、優れた音楽家であった兄の元でバッハはさらに音楽に親しみ、才能を磨き続けました。

その後バッハは教会の修道院付属学校に入学、18歳の時にはアルンシュタット新教会のオルガニストとして就職を果たします。何年か職務を果たした後、「ミュールハウゼン」のいう街に移り住み、再び教会のオルガニストととして就職します。

オルガン

バッハの扱った楽器

バッハの生きた時代は現在のピアノは存在せず、バッハは「パイプオルガン」「チェンバロ」「クラヴィコード」を主に演奏楽器として扱っていました。したがってバッハの鍵盤作品は、この3つの楽器のいずれかで演奏するために書かれたということになります。

クラヴィコード バッハ

写真の楽器は「クラヴィコード」。鍵盤楽器の一種であり、14世紀頃に発明されました。主に現在のピアノができる前に使用されていた鍵盤楽器で、オルガンやチェンバロなどと並行して”16世紀から18世紀”に広く使用された楽器です。

ミュールハウゼン〜ワイマール期

移り住んだ「ミュールハウゼン」でバッハはマリア・バルバラという親戚の娘と結婚。その1年後にはワイマールという新天地で宮廷オルガニストという教会オルガニストの上位職にスキルアップを果たし、オルガニストとしての名声を上げていきました。また、その頃には作曲活動も盛んに行い、多くのオルガン曲を残しました。

バッハの性格は非常に真面目。音楽に対する情熱は並ならぬものであり、努力によって高い地位に登りつめました。しかし、その真面目さ故に、他人と衝突することもしばしばあったと言われています。

ワイマールにて宮廷オルガニストとなってからは「楽師長」の任につきます。10年ほどワイマールの地で仕事を続けたバッハですが、宮廷楽長が亡くなった時、宮廷楽長の後継者に自分が選ばれなかったことに腹を立て、ワイマールを去ります。(他人と上手に関係を築くのが下手だったのが原因の一つ)

ケーテン〜ライプツィッヒ期

最後に移り住んだのはケーテンという街。この地でワイマールでなり損ねた「宮廷楽長」の地位に就きます。また、ケーテンではオルガン曲や教会音楽の作曲・演奏以外の楽器や曲も多く扱い、音楽家として成熟していきました。

ケーテンでの生活を気に入っていたバッハですが、妻マリアが死んでしまい、さらにはバッハが「アンナ・マグダレーナ」と再婚をしたことなどの理由により、バッハ最後の居住地「ライプツィッヒ」へ移住します。

大都市ライプチヒでは「教会の音楽監督」という”かなり位の高い地位”に就任しました。この地位は事実上の市音楽監督にあたり、バッハはライプチヒの音楽の全てを任され、その手腕を発揮。相変わらず頑固な性格は健在で、度々他人と衝突することもありましたが、バッハはこの地で死ぬまでの27年間を過ごし、数多くの代表作を生み出し続けました。

最後は目の病により視力が低下、さらには手術にも失敗したことで失明し、その翌年の1750年に生涯を終えました。同時代の作曲家ヘンデルも同じ医者にかかったことで失明しているので、この医者はヤブ医者だったとも言われてます。

バッハの名曲

バッハは宗教音楽、特にパイプオルガンの曲に多くの名曲が存在します。ここではその一部をお聞きください。

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565

J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番 BWV1068より “G線上のアリア”

J.S.バッハ:コラール「主よ、人の望みの喜びよ」 BWV147

まとめ

バッハは住む街が変わるたびにその地位を高めていった努力の人です。作曲スタイルは教会音楽を中心に「厳かな曲・安らぎ」を感じる曲が多いのが特徴。
また、バッハは2人の妻のとの間に20人もの子供を作ったことも忘れてはいけないこと。多くの子供は幼い頃に亡くなってしまいましたが、無事成長した子供は音楽界に歴史を残す立派な音楽家として成長します。そのこともバッハが「音楽の父」と言われる由縁のひとつかもしれません。

 

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