現代ではあまり使われることがなくなった懐中時計。なんとなくアンティークでお洒落なイメージが強いですが、そもそも「懐中時計」っていつ頃から存在しているかご存知でしょうか?
今回は実物を交えながら懐中時計の歴史と進化の過程について詳しく解説します。レトロで美しい懐中時計の世界を是非ご覧ください。
17・18世紀の懐中時計たち
懐中時計が最初に生まれたのは16世紀のドイツといわれていますが、時刻を確認する「時計」として実用できるレベルのものが現れ始めたのは主に17世紀以降だと思われます。
現存するこの年代の懐中時計はフランス・スイスで生まれたものが多く、「エナメル」「彫金」といった技術が多用されているのが特長です。
こちらは17世紀にフランスで作られた懐中時計。懐中時計ができて間もない頃は「精度」が悪く「分針」も備えられていません。分針を付けていても意味がないレベルの精度だったのです。
そのため初期の懐中時計は工芸品としての意味合いが大きく、クラシカルな「彫金」が施されている個体が多いです。
17世紀の懐中時計は裏面に「エナメル彩」で絵が描かれているものも多いです。
「エナメル彩」はガラス性質のある粉で絵を書く芸術であり、低温で焼き付けることで独特の雰囲気を醸し出します。ちなみに日本では「七宝」と呼ばれています。
エナメル彩が施されたた懐中時計は表面にもエナメルが使われています。さすがに文字盤は視認性を重視したシンプルなデザインですが、どこか丸みを帯びたフォントがオシャレにみえます。
また、この年代の懐中時計には1時〜2時の間に謎の穴が空いていますが、これは「ゼンマイ穴」です。19世紀の半ばに「竜頭(時間調整時にひっぱるやつ)」が発明されるまで懐中時計は全て「鍵巻き式」となっており、小さな鍵を鍵穴にさして回すことでゼンマイを回していました。懐中時計によっては裏に鍵穴がある場合があります。
この2つの懐中時計は「エナメル彩」や「彫金」を使った懐中時計としては珍しくイギリスで作られた時計です。フランスの作品とは異なり、裏に鍵穴があります。
この年代につくられた懐中時計はとにかく個性があるため、一番見ていて面白いです。
エナメル彩の発展系
エナメル彩を使った懐中時計の発展系として、音で時間を知らせてくれる「ミニッツリピーター」を搭載した写真のような時計があります。この懐中時計は次項で解説するアブラアム=ルイ・ブレゲ(1747-1823年)という天才時計職人が発明した「丸みを帯びたアラビア数字=ブレゲ数字」「先端に丸い穴が空いた針=ブレゲ針」が採用されています。
尚、「ミニッツリピーター」もブレゲの発明です。
詳細はわかりませんが、この時計の中身はこの様な機構になっています。
天才時計技師ブレゲによる時計の進化
18世紀に活躍したアブラアム=ルイ・ブレゲ(1747-1823)。彼はのちに「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれるようになる天才時計技師であり、時計の様々な機能・機構・デザインを発明しました。
出典:https://www.breguet.com/jp
18世紀に作られた時計は現在も一定数残っていますが、彼が生まれる前と後では時計のクオリティーが全く違います。
ブレゲの発明① ブレゲ数字・ブレゲ針
ブレゲはアラビア数字を斜体にすることで独特の雰囲気を出した「文字盤用の数字」を開発。それがブレゲ針です。尚、針の先端が丸い形になっているブレゲ針も同時に発明されました。
この時計は「ブレゲ針」「ブレゲ数字」を採用した懐中時計。エナメル彩・彫金といった17世紀のデザインを取り入れた海中時計です。カレンダー機能を搭載したことで実用性が上がっています。
左側=日にちを表しています。
中央=時間を表しています。
右側=曜日を表しています。(フランス語)曜日は DIM(日曜)、LUN(月曜)、MAR(火曜)、MER(水曜)、JEU(木曜)、VEN(金曜)、SAM(土曜)と表記
ブレゲの発明② 永久カレンダー
永久カレンダーとは「うるう年」なども自動で調整してくれる高機能なカレンダーを搭載したものです。現在でも永久カレンダーを搭載した懐中時計や腕時計は価値が高く、最低でも300万以上する時計ばかりです。
電子制御を一切使わず、機械だけでうるう年を計算するシステムを生み出した彼はまさに天才です。
ブレゲの発明③ トゥールビヨン
懐中時計を持ち歩いていると、上下左右様々な向きで懐中時計を使用することになります。その時の本体の動きによって時計に「誤差」がおこります。その「誤差」を「重力」によって補正する機能がトゥールビヨンです。
このような立体的な動きをする機能が「トゥールビヨン」です。カッコいいですよね!私はこの機構が時計の機構の中で一番素敵だと思います。
この機構を生み出したのもブレゲです。
ミニッツリピーター
ボタンやレバーを操作することで、現在時刻を「音」で知らせてくれる機構です。ムーブメントの周囲にリング状の金属を配置することで、音を鳴らしています。
この機構自体は以前から存在していましたが、リピーター(音をならす機構)の小型化に成功したのはブレゲの功績です。それまでのリピーターは自転車のベルくらいの大きさがあり、到底懐中時計には使用することはできませんでした。
ミニッツリピーターの派生系として、からくりギミックを含んだミニッツリピーターもあります。
上記の2つの懐中時計は2本とも1820年頃に作られたスイス製のものです。どちらも起動スイッチを押すことで、中央付近にいるハンマーを持った2人の人間が徐々に鐘に近づいていき、鐘を鳴らすと音が鳴ります。
17世紀・18世紀の懐中時計の特徴
・17世紀はエナメル彩をつかった「絵画的工芸品」としての懐中時計が流行。
・主に「フランス」「スイス」製の時計が世界に流通。
・18世紀後半には天才時計技師「ブレゲ」が発明したギミックを各メーカーが採用、世界に広まる。
19世紀の懐中時計はイギリスが席巻
懐中時計が生産されるようになった当初は「フランス・スイス製」が主流でしたが、19世紀に入り「鉄道網」が発達すると、正確な懐中時計の需要が高まります。
そこで時計界のトップに君臨したのがイギリスです。
当時のイギリスは工業化による生産力の増大により「圧倒的な経済力」を誇っており、時計製造においても大きなアドバンテージを持っていました。また、蒸気機関車による鉄道を世界で初めて用いた国であったことも時計大国として成長した大きな要因といえるでしょう。
これまで工芸品として作られてきた懐中時計は、この時代に入ると一気に実用性が重視されます。
19世紀 イギリスの懐中時計
ジョン=ジョージ・グレイヴスという実業家が製作した懐中時計。秒針は中央ではなく、スモールセコンドと呼ばれる中央下の別窓に配置されています。この頃にはもう時計のデザインや形は完成されつつあります。ちなみにこの「ジョン」さんはかなり早い時期に通信販売を取り入れたツワモノらしいです。
19世紀イギリスで誕生した懐中時計を見比べてみると、とにかく機能性を重視したクラシカルなデザインのものが多いことがわかります。
また、「ローマ数字」を使い「スモールセコンド」を搭載している懐中時計が多いも特徴です。
この写真の懐中時計はポケットから取り出した時に見やすくするためにⅫが通常の9時の位置に配置してあります。まさに鉄道用の懐中時計です。
こちらは近年イギリスで人気の観光地になりつつある港町「ライ」で19世紀に作られた懐中時計です。この懐中時計はジョン=ネーヴ・マスターズという時計メーカーにより製造され「正確さ」という意味である「veracity」という名前が付けられたらしいです。
少し変わった懐中時計も
この懐中時計は「アスプレイ」という1781年に創設された高級宝飾品店によって作り出された時計です。背面にダイヤル式カレンダーが搭載されていて、蓋を開けることで日付を確認できます。高級宝飾品店ならではの高級感があり、先ほどまでに紹介した一般的な19世紀イギリスの懐中時計のデザインとはかなり異なります。
表面の中央を良く見ると実は「スイス製」と書かれています。もともと「アスプレイ」は時計メーカーではなく高級宝飾品店なので、時計の組み立て技術は持ち合わせていません。よって実際に時計を組み立てたのはスイスです。
20世紀の懐中時計
イギリスが時計界の頂点だった時代は意外にも短く、19世紀後半にはトップの座をスイス・アメリカに引き渡すことになります。
その要因となったのは分業化と機械化。
イギリスは手工業のギルド制にて産業を革新してきましたが、19世紀後半には国を挙げて分業制に取り組んだスイスと機械化を推進したアメリカによって立場は逆転してしまいます。
イギリスは利権絡みでがんじがらめになり、古いやり方を変えることができなかったのです。
鉄道時計の新たなる雄 アメリカ
アメリカでは1830年頃から鉄道網が発達し始め、1869年には広い国土を誇るアメリカの中西部と西海岸を結ぶ鉄道網が開通しました。すると正確な時間を知るために「懐中時計」の必要性が高まり、多くのメーカーが懐中時計を作り出しました。手工業中心であったイギリスとは違い、部品を規格化し工業で大量生産することを推し進めたアメリカは量産に成功、イギリスに取って代わり、スイスと並ぶほどの懐中時計産業に上り詰めました。
ウェブ・C・ポールの時計監査
1891年にアメリカ オハイオ州で列車の衝突事故が起こり、多くの死者を出しました。原因は機関士の時計が「4分遅れていたこと」でした。「時間」を正確に管理しなければ、再び凄惨な事故が起こっていまうと判断した鉄道会社は「ウェブ・C・ポール」という時計監査官に鉄道の運行に関わる時計の一斉点検・適正な検査方法の確立を依頼しました。
・文字盤の見やすさ
・ケースの大きさ
・リューズの位置
・ムーブメントに使用する石の数
など
この基準はかなり厳しいになり、基準を突破できるメーカーはごく僅かでした。しかし逆に突破できたメーカーは信頼のできるメーカーと認定されるようになります。
基準を超える品質の時計を作り上げた有名メーカーは「ハミルトン」「ウォルサム」「エンジン」などが挙げられます。
ハミルトン
ハミルトンは1892年にペンシルベニア州ランカスターに生まれた時計メーカー。ハミルトンは鉄道時計として発展したメーカーであり、ウェブ・C・ポールによって制定された「鉄道時計の仕様」に沿った正確な時計を製造しました。
現在でも高級時計ブランドとして君臨している「ハミルトン」の懐中時計。この懐中時計はアラビア数字の立体的で若干角ばった数字が特徴的です。
こちらも「ハミルトン」の懐中時計。分針のデザインと丸みのある数字フォントに特徴があります。
これもまた「ハミルトン」の懐中時計。大きい数字で見やすいデザインで、針が細身です。どの懐中時計も秒針はスモールセコンドでの表示になっています。
ハミルトンに買収されたイリノイ・ウォッチ・カンパニーという企業によって作られた懐中時計。大きめで見やすい文字が特徴です。ハミルトンのデザイン性とうまくマッチしています。
ウォルサム
ウォルサムもハミルトンと同じく「鉄道時計の仕様」に沿った正確な時計を製造しました。ちなみに1859年〜1885年までは「アメリカン・ウォッチ・カンパニー」と呼ばれていました。
ウォルサムは1850年に創設し、なぜか何度も社名を変えたという「若干ややこしい会社」です。20世紀アメリカにおける懐中時計黄金期を支えた義業ですが1949年に破産し倒産しました。
※下記の社名は全部ウォルサムです。
American Watch Co.
American Waltham Watch Co.
Waltham など
ウォルサムのクロノグラフ懐中時計。センターセコンドにクロノグラフの針が付いています。大きな文字が特徴だったハミルトンの懐中時計と比較すると、繊細な作りです。
12時の下に付いている「パワーリザーブ」という機能付きの時計。パワーリザーブはゼンマイを巻き上げた量がわかる機能で、現代の機械式腕時計にも使われている機能です。メーターの一番右端がD’Nでパワーがない状態、一番左端がUPでパワーMAX状態を意味します。
ウォルサムの初期の懐中時計(アメリカン・ウォッチ・カンパニー時代)。ウェブ・C・ポールによる「鉄道時計の仕様」が制定される前の時計と言われていて、19世紀にイギリスで流行したデザインに似ています。時間が見づらいと判断されたのか、アメリカの「鉄道時計の仕様」を満たした時計はアラビア数字で大きな文字の懐中時計が多いです。
18世紀後半にアメリカン・ウォッチ・カンパニー時代に作られた時計といわれています。「ウィリアム・エラリー」というアメリカ独立宣言に署名した人物をモデルとした「W.エラリーモデル懐中時計」です。割と安価だったらしく、南北戦争(1861-65年)中に兵士の間でブームとなり、売れに売れたモデルらしいです。
エドワードハワード
アメリカの懐中時計で有名なのは「ハミルトン・ウォルサム」ですが、他にも幾つかのメーカーが時計製造に携わっていました。その中の一つ、E.Howard Watch Co.(ハワード)は1858年にエドワード・ハワードが創設した時計メーカーです。ハワードの時計は懐中時計以外にも道路や建物にも幅広く利用されました。
アメリカのE.Howard Watch Co.製(ハワード)の懐中時計。文字盤の数字・針に特徴があり現代でのいう「ゴシック」な雰囲気を感じます。内部全体には機械式ムーブメントが敷き詰められています。
「鉄道時計の仕様」に沿って造られたモデル。この時代の普遍的デザインです。どのメーカーも19世紀〜20世紀にかけて製造された時計は、ほとんどが「鉄道」の為のものでした。
20世紀の懐中時計の特徴
・20世紀アメリカの懐中時計は「ハミルトン」「ウォルサム」という2大メーカーがあった。
・ウェブ・C・ポールによって制定された「鉄道時計の仕様」に沿った精密な時計が作られた。
・見やすさ重視のため、アラビア文字を使ったインデックスが多い。
懐中時計から腕時計へ
17〜20世紀では懐中時計が時計の主流でしたが、第一次、二次世界大戦をはじめとする戦争の時代に入ると、瞬時に時間を確認することができる腕時計が主流になっていきます。
それまでの腕時計は1点ものとしては既に製作されていましたが、量産体制はとられていませんでした。
しかし、軍事用に時計が大量に必要となってからは需要が一変。時計メーカーの多くが腕時計の製作へとシフトしていきます。
軍事用に腕時計が大量生産
1880年にドイツの皇帝ヴィルヘルム1世が軍事用時計として、スイスの時計メーカー「ジラール・ペルゴ」に海軍腕時計2千個を発注したという逸話もあるほど軍事用時計の需要は加速。
また、1914年-18年に勃発した第一次世界大戦の頃には「攻撃のタイミング同期」に腕時計は欠かせない道具となり、兵士にとって腕時計は必需品となります。
第一次世界大戦は1914年-18年の出来事でしたが、戦争に生き残った兵士は除隊後にもその便利さから「腕時計」の使用を継続。次第に「懐中時計」は必要のないのもとして扱われるようになりました。
ポイント
・腕時計は軍事用に発達し、戦争後そのまま生活に定着
・腕時計の利便性に押され、懐中時計は20世紀中盤から徐々に姿を消す
まとめ
今回は懐中時計の歴史について実物を交えながら紹介しました。
現在は腕時計が主流となっている時計産業ですが、懐中時計は現在でも腕時計には無い不思議な魅力を持っています。なかなか使う機会は無いとは思いますが、ふと何かのきっかけで「これは19世紀イギリスの懐中時計かな?」くらいの感想が言えると博識っぽく見えるかもしれません。
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